大連のタクシー運転手で片言の日本語を話す40歳代の中国人男性から聞いた話だが、なるほど面白いと思ったので紹介しておこう。開発区から市内に行くときなど、時々呼び出して使っていたタクシーだ。
以前日本人から教えてもらった言葉だそうだが、それは
「どうもどうも」という一言だ。
「どうもどうも」の一言さえ覚えておけば、日本人とのあいさつの7割はこなせる、というのだ。
聞いた瞬間は、「何を言っているんだこいつは!」と面食らったが、よくよく話を聞いてみると「なるほど、面白い」に変わった。多少脚色はつけたが、次のようなことだ。
朝:「どうもどうも」と片手を振れば、「おはよう」の代わりになる。
昼:「どうもどうも」と笑顔を振りまけば、「こんにちは」の代わりになる。
夜:「どうもどうも」と手を差し出せば、「こんばんは」の代わりになる。
失敗した時:「どうもどうも」と首を垂れれば、「ごめんなさい」の代わりになる。
久しぶりに会った時:「どうもどうも」と握手をすれば、「いやぁ、久しぶり」の代わりになる。
困惑した時:「どうもどうも」と首をかしげると、「困ったな」の代わりになる。
相手から感謝された時:「どうもどうも」と頭をかけば、照れ隠しの「どういたしまして」の雰囲気。
何かを頼んで完了した時:「どうもどうも」と握手をすれば「ありがとう、ご苦労様」の意思が伝わる。
とにかく、相手と何らかのコミュニケーションをとろうとするとき、意思表示の表情や態度と組み合わせて「どうもどうも」と言えば、70%は何とかなる。
「う〜ん、なるほど」と思いませんか?
2007年9月に「
消毒食器の有料化」と言う記事を紹介した。
これは一過性の流行ではなく、どんどん普及が進んでいるようだ。
大連晩報ネットでこんな記事を見つけたので紹介する。
http://www.dlwb.com.cn/dlwb/news/jsp/shownews.jsp?id=130459要旨はこうだ。
・1元食器のことを集中消毒食器と呼ぶ。
・健康嗜好に合って、市民の受けも良い。
・洗う水量が減り、健康にも、環境にもよく、衛生管理もしやすいので、全国規模で普及が進んでいる。
・積極的に食器集中消毒センターを設立する動きもある。
・その一方で、運用基準が定められていないため、いい加減な洗浄で済ませる悪質な業者もみられる。
・早く、きちんとした管理基準を定めなければならない。
以下、翻訳。
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大連晩報 2008−06−18 文/本誌記者 唐楓

およそ1年前から大連市では、大型中型のレストランで消毒食器が使われ始めた。消毒食器は1セット毎に消費者から1元のお金を徴収する。市政府の関連部門ではレストランは客から1元を徴収すべきではないと呼びかけてきた。しかし記者は最近では大中規模レストランばかりでなく小型の飲食店でもこの集中消毒食器が普及しはじめ、例によって1元の料金を取っていることを発見した。1元徴収については禁止されてはおらず普及の勢いが増している。その理由は、客自身が
「1元で健康を買う価値がある」と思っている多くの消費者がこのような心理を抱き、消毒食器に心を開いているからである。
しかし集中消毒食器は本当に清潔なのか? 1元で本当に健康が買えるのか?
数日前、記者は「集中消毒」会社の一人の作業員から次のようなことを聞いた。
彼が所属する集中消毒会社は、手作業の現場で自分も含めて僅か3人の作業員が、いわゆる「集中消毒」の作業をしており、その実態は、手作業で食器を洗いその後擦って、、、、、。と。
記者は、この関連の基準書を探したが、この分野は新しい業種なので、今のところ集中消毒食器に関する基準書はない。この一連の調査の後、記者は思わず一握りの冷や汗を禁じ得なかった、1元で健康を買うことには本当に注意が必要だ。
消毒食器は、大連では至る所で盛んに使われている。現在、あまり大きくないレストランに入れば、どこでも集中消毒食器を享受することができる。一般には、飯椀、皿、茶碗、コップ、スプーンの5点と箸を加えた6点の包装されたセットが1元である。記者は、昨日、開放広場付近の新装開店から間もないレストンランで見ていると、すべてのテーブルの上にこの種の食器がプラスチックの薄膜で包まれて並べられており、お客が席に着くとすぐに、係員が、「食器を開けますか?」と聞き、記者が観察していた2時間余りで、すべての客がこの種の集中消毒食器を選択していた。
この数日来、記者は、青泥洼橋、西安路など繁華街のレストランを訪問したところ、基本的にはどこでもこの集中消毒食器を使っていた。青泥洼橋のあるレストラン経営者が記者に語った、自分では今年の初めからこの食器を使い始めたが、今や多くのレストランがこの集中消毒食器の契約をしていると。
大量に使うのは、便利で環境に良いからだ。
今年の二つの会議で、市の政協委員で大連開発区の聚仙楼の支配人韓吉光が一つの提案書を書いた、すなわち「速やかに集中消毒食器を広める提案」である。
韓吉光は考えた、大連は観光都市であり、流動人口が多く、その規模も大きい。飲食店のレベルの差はまちまちで衛生条件もばらばらだ。高中レベルのレストランは基本的に消毒設備を有しており、衛生レベルを保つことができる。しかし、多くの中小の飲食店には食器消毒設備はなく、衛生防疫条件は要求レベルを維持することができない。そのため、飲食店の食器は、集中消毒食器に統一して、衛生面の合格率を高くしようとする提案だ。韓吉光の提案は、集中消毒と集中輸送をする食器消毒センターの設立だ。集中消毒による環境保護の効果も明らかになったので、この方式により無駄に使われる食器盆、使い捨ての箸を淘汰し、資源を節約し、また一歩一歩、防疫目的に到達する。
更に飲食店の廃水処理量が大幅に減少し、周囲の環境を改善すると共に、汚水のたれ流しが減少する。
その他に衛生管理監督部門の監視管理にも利益がある。各レストランが各自に行っていた消毒から集中統一消毒方式に変更することによって、衛生管理部門はこの消毒会社を管理するだけで、食中毒などの発生を未然に防ぐことができる。
食器の集中消毒は、レストラン、お客、社会の三者にとって有益である。
だが、消毒企業は、玉石混交なのが実態だ。集中消毒は現在全国で始まっている。韓吉光委員の情報によれば、現在国内では杭州、温州など30の都市で食器の集中消毒が行われていて、毎日400万セット以上の食器が社会に提供されている。広西では、大規模の食器消毒会社が1社で数万セットの食器を消毒し、広西では、飲食店が第三者の消毒会社が提供する食器の使用を推奨する政策を打ち出し、使い捨ての箸をなくし、2006年8月には、深センに最大の消毒センターを設立した。
関係者の話によれば、大連の消毒会社は昨年末から順次増え続け、現在20社余り、だけど、いくつかの消毒会社は家庭内手作業方式である。大連市のある消毒会社の責任者である任さんが記者に語ったところによると、彼の会社は昨年の6月に成立し、当時は大連には、食器消毒会社は、わずか2,3社しかなかった。目下、この会社は大連で40以上のレストランに集中消毒食器を配送している。毎日午後3時に消毒食器を配達し、同時に前日使用した食器を回収する、これらの消毒食器は1セットの消毒コストは0.8元だが、レストランでは、客から1元を徴収している。
ある企業内関係者が記者に語った。
集中消毒と言うけれど、消費者には見えない部分がある。
彼らが言うには、自分が以前勤めていた消毒会社は、小さな家内工業で、自分自身を加えても3人しかおらず、椀や箸を手洗いして、洗った後プラスチックフィルムで包装しているだけで、
「実はとても汚い!」いくつかの小企業では工業用乾燥機を使用しているが、いくつかの会社では家庭用消毒機を使っており、条件は劣っている。甚だしきにいたっては全く消毒されていない。 また、あるところでは、大きな洗い桶の中で洗いその後、布で拭き取るだけでコストを0.6元に下げることによって、悪質な競争をしている。
基準が定められていない。
記者は理解した。目下わが国には、これらの集中消毒の企業運営の基準が定められておらず、多くの汚れが残され、菌も残留している?かも知れない。
・普通の白磁器食器の強度は低いんじゃないか?
・壊れ易いんじゃないか?
・高温に耐えられるのか?
・300℃を超える高温殺菌の遠赤外消毒乾燥機を通したのか?
調査中、多くの市民が集中消毒食器に対してこのような疑問を持っている。1元を徴収すべきかすべきでないか、多くの人たちの関心は、変化している。
1元で健康を買うことができますか?
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秋葉原で冷酷な通り魔事件が発生して、7人が死亡し11人が重軽傷を負わされた。殺された人の遺族、特に人生これからという大学生の息子や娘を刺し殺された親の悲しみや苦しみ、悔しさは想像を絶するものがあるのは、なに人も異論はないだろう。
この親たちが、テレビ取材のインタビューに答えて
「何の罪もない息子を殺されて、憤りが収まりません。二度とこのようなことが起きないように、願って止みません」とか
「娘を返してください、犯人を極刑にして欲しい」などと、
発言内容は過激だが、時々言葉に詰まりながらも冷静に対応している姿が報道されていた。
また、不幸にも、一昨日には岩手・宮城内陸地震が発生し、現時点で9人が死亡し11人が行方不明、また多くの被災者が避難所暮らしを強いられているが、彼らへのインタビューでも
「預金通帳も免許証も全て失いました、これからどうするか考えます」
と、気持ちの不安とは別に、極めて冷静な対応をされていた方がいた。
日本では、犯罪被害者の遺族でも、災害の被害者本人でも大概このような冷静な言葉の対応をする。(そういう人を選んでいるのかもしれないが)
つまり、全国に放送されるテレビ画面では、冷静な応答をするのが立派な態度だと考えられているからだろう。
これに対して、中国の被害者の対応はまったく異なるような気がする。もちろん個人個人によって差はあるのだが、一般に感情に任せて泣きじゃくるパターンが目立つ。マイクを向けられても、言葉を話すことなく、ただ泣きわめくだけ
「ウァ〜ン、ウワァ〜ン、息子が帰ってこなぁ〜い、息子ぉ、息子ぉ!!」
「おっかぁ〜、おっかぁ〜、どこにいるんだよぉ、おっかぁ〜」
というようなパターンだ。
事件や事故の直後なら理解もできようが、数日経って葬式の日のインタビューでも同様に泣き叫ぶのが普通だ。
日本では、公衆の面前で感情に流されて泣きわめくのは、自己抑制ができない未熟な人間だと思われるが、どうやら中国にはそういう考えはないようだ。むしろ逆に、家族を失った悲しみを表現することで追悼の意を示しているのかもしれないし、母親を亡くしたのに冷静にインタビューに応じるなんて、母親への想いが薄い冷徹な奴だと思われるのかもしれない。
オレは直面したことはないので真偽のほどは明らかではないが、中国には「泣き女」という仕事があって、葬式に雇われて葬式の間中声を上げて泣いていると言う。本当にあるとすれば、これも故人を慈しむ気持ちの表現なのだろう。
「水滸伝」という有名な物語を映像化した中国のテレビドラマがあるが、その中で、2丁マサカリを振り回す暴れん坊の「鉄牛」が、病気で母を喪ったときに大声を張り上げて泣いていたシーンにオレは違和感を感じたものだ。次々に友人たちが慰めるのだが、「鉄牛」は言葉を返すこともなくただ泣き叫んでいるだけだ。ドラマの中では、そういう演技で母親への想いを表現したのだろうし、そういう表現を受け止めるのが中国人の感性なのだろうか。
ま、「鉄牛」は、物語の中でも教育を受けていない荒くれ者という設定なのでそれなりの表現なのだろうが、同じ「水滸伝」の中でも武芸師範の「林沖」は、たとえ騙されても泣き喚いたりはしない。心の中に悔しさを溜めながらも、あからさまに表情に出すことなく、じっと耐えながら次のチャンスを待つ。これが精神修行の表れだろうし、教育による自己抑制力の一つの表現だと思う。
テレビのニュース報道では、韓国でも泣き叫ぶパターンを見かけるが、欧米のニュースでは、日本と同じように淡々と怒りや悲しみを訴えているシーンが多いようだ。
こんなことで、どちらが良いとか悪いとかの話にはならないが、個人的に好き嫌いが生じるのは仕方がないことだ。
オレ的には、自己の感情を理性で抑えて、冷静な態度で言うべきことは言い、言葉で感情を表現する方が人間性あふれると思うし、教育程度が高いと感じる。
自然界で長期間、腐敗も分解もしないプラスチックによる環境汚染を中国では「白色汚染」と呼んでおり、国家として対策検討を進めている。
環境汚染とエコ対策として、中国では、6月1日から、全ての商店やスーパーでレジ袋を無料で配布することが禁止され、有料化となった。レジ袋提供の際は、商品代金に埋没させることなく、1枚1元とか、0.5元とか明確に袋料金として請求しなければならない。
また、厚さが25ミクロン(0.025ミリ)未満のペラペラのポリ袋は製造禁止となった。厚みがあり、しっかりした袋なら、再利用もできるが、薄っぺらいヘナヘナのポリ袋はすぐに破れるので直ちにごみになると言うわけだ。
中国で1日に消費されるポリ袋は30億枚との報道もあった。(全人口13億人が1日2枚以上使っていることになるが、ちょっと多すぎないか?)
さすがは中国、共産党中央政府の威光で、やるときにはスパッとやる。国民にも概ね歓迎されているようだ。
オレは、大連にいたときから、折りたたみの小さな布袋を携帯しており、コンビニで買い物をしても「袋は要らない」と言って、怪訝そうな顔をされていた口なので、この決定には大賛成だ。
これに対して日本では、一部の地方自治体が業界団体と協議して有料化を定めているところもあるが国としての規定はまだない。 この辺の状況は、2008年4月の
環境省発表の調査報告に詳しく書かれている。レジ袋を有料化した自治体の調査によると、有料化前のマイバッグ持参率は20〜30%程度だったのが、有料化後は軒並み80%を越える改善が認められている。
ただ、レジ袋の有料化を法的に義務付けると、憲法上認められている「営業の自由」の侵害にあたる恐れがあり、業界団体との調整中だ。 中国と違って、日本では民主主義のルール則ってめんどくさい手続きが必要だが、いずれ同様の規定がなされることを願う。
中国の国の規程はともかく、大連での様子はどうかと、ネットを眺めていたらこんな記事があったので概要を紹介しよう。 市政府を挙げてレジ袋削減キャンペーンをやっているようなので、レジ袋は削減されることだろう。それにしても、相変わらずスローガンが好きな人たちだなぁ。
【出典】http://news.sina.com.cn/c/2008-05-29/232215645447.shtml
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半島晨報 6月1日 「プラスチック制限令」が正式に施行される。すべてのスーパーマーケット、商店、自由市場などの商品の小売りの場所ではポリ袋を有償支給を実施する。昨日の午前中、全国で同時に行われた家庭と地域コミュニティによる「プラスチック拒否行動」の10都市の1つとして、大連市の婦人連合会、大連新聞社は大連熟食品交易中心で、大連市家庭、地域コミュニテと共同主催して「ポリ袋を拒絶して布袋を使う」のスローガン活動を提示して、砂河口区の家庭、熟食品交易中心のテナント、大連海事大学の志願者など千人近い人が活動に参加した。
去年9月、市の婦人連合会、大連新聞社、大連熟食品交易中心は共同で「百万家庭節約と環境保護活動」をスタートさせて、全市の女性と家庭にポリ袋に別れを告げるように呼びかけて、多くの市民と家庭に無料で、1万枚の布袋を配布したことにより、全市で布袋のブームが起こった。
今年、市の婦人連合会は、再び「自分の布袋を自分で使う」キャンペーンを展開して、広場、幼稚園、大学キャンパスに入って、環境保護の理念を提唱して、積極的に応答する人たちに広範な関心を広げた。市長である夏徳仁はこの活動を強く支持して、そして重要なコメントを語った
「省エネとエコロジーは、市政府から一般家庭に至るまで市全体の共通任務です。市の婦人連合会の活動は大変すばらしいことです。 多くの女性と家庭が積極的に省エネ活動に参加することは、市全般の環境保護意識を強めることに利益があり、省エネの観念を発揚していきます。そして、身の回りの小さな事から始めて、一歩一歩ずつ、共に節約型と環境保護型都市を建設していきます」
熟食品交易中心の社長の劉旭波はかつて一つの収支計算をして、そこで得た数字に驚愕した:
熟食品交易中心で毎年使うポリ袋の数は2190万枚に達して、仮に1枚5グラムと計算するならば、百数十トンに達して、もし飛行機からこれらのポリ袋を撒いたら、大連市全体を覆いつくすと。
昨日の活動の中で、大連市の「緑色の家庭」の代表の趙淑はもっぱら《環境保護の精神により、袋から袋へと伝える》の提案をし、全市の家庭に「ポリ袋を拒絶し布袋を使う」を呼びかけ、大きな「緑」の字を協力して書いて、共に緑色の文明、調和がとれていて美しい幸せな郷里を創造ようと。大連熟食品交易中心の社長の劉旭波はまた、《企業は率先してポリ袋を拒絶しよう》と提唱し、市全体の大きいデパート、スーパーマーケット、自由市場、取引センターに対して、意識的に環境保護と生態を守ることの責任と義務を感じ、更にいっそう環境保護意識を強めて、自ら管理を強化して、「白色汚染」との戦いを管理する中で、率先して主役を演じようと呼びかけた。
活動に参加した家庭の代表、熟食品交易中心のたくさんのテナント、大連海事大学の大学生の志願者が次から次へと「ポリ袋を拒絶して布袋を使う」のポスターの上に署名をして、環境保護の精神により、袋から袋へと伝えることを、先ず自分自身から始め、家庭から始めることの必要性を示した。大連熟食品交易中心の現場では今回の活動のために統一デザインで作った1万枚の環境保護ショッピング袋を支給した。
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四川大地震に関して、日本の建物やビルについて、見るともなしに関心が深まっている。
写真は、品川にあるSONYビルだが、非常に特徴的なデザインだ。

3フロアに跨る大きな斜めの支え(はすかいと言って良いのかな?)が目立つので、オレは勝手にバッテンビルと呼んでいるのだが。
全面ガラス張りのカーテンウォールのビルは、なんとなくひ弱に感じるのだが、これだけしっかりした斜めの支えがあれば、相当な耐震性が期待できると思うのは素人の勘違いなのか。
別に、どうということもないのだが、しっかりしているなと思ったので。
ところで、この写真は携帯カメラで撮ったものだが、なかなか侮れないな。
火事場泥棒と言う言葉がある。
火事場泥棒とは、火事のどさくさにまぎれて人様の財産をかすめ取ろうという不逞の輩のことだが、四川大地震では、火事場泥棒ならぬ、地震泥棒とでも言うべきか、この手の不埒者が暗躍しているようだ。
手口は、
・文字通り現場をウロウロして金目のものを拾い集める原始的なヤツから、
・物品や食品の高値転売・売り抜け(需要と供給のバランスによる資本主義の原理と言えばそれまでだが、一応ここは共産主義のはずだが)、
・地元役人による配給物品の横流し、横領、
・果てはオレオレ詐欺までと幅広い。
オレオレ詐欺は、
振込め詐欺メールの記事に書いたのと同じ手口で
「お父ちゃん、お母ちゃん、大地震の後の大きな余震で慌てて、財布も携帯も無くなっちゃったの。私のトモダチの陳雪さんの口座(622345xxxxx)に2000元送ってね。急いで!!」と言うような文面で、自分の名は名乗らないメールだ。これが結構商売になっているようで、被害事件がニュースとして取り上げられている。
この記事を書こうとしたときに、「民度」と言う単語を思いついた。
ちょっと調べてみたら、「民度」は、
「民度が低い」と言う使い方が一般的で
「民度が高い」とは使わないと言うのだ。言われてみればその通りで、
「××国は民度が高い」のような使い方はあまりせず、
「△△国は民度が低い」のように使うことが多い。
もっと言えば、「民度」とは、自分を棚に上げた連中が、他国を非難するときに使う差別用語だと言い切っているサイトがあった。
さて、「民度」議論はちょっと置いといて、阪神大震災のときにこのような犯罪行為があったのだろうか?
記憶がないのだが、オレが知らないだけなのだろうか?
中国の友人からメールが来た。
さる5月19日から21日までの3日間、中国は四川大地震の犠牲者を追悼するために喪に服する期間と定め、聖火リレーを中断し、娯楽関連の商売はすべて休業、募金活動も盛んに行われた。中国国民はこんな風にに一致団結することができるすばらしい国民性だ、
と自画自賛していた。確かにこの3日間はヤフーチャイナや百度の検索サイトでは、通常のカラー画面を白黒にして、弔意を表していた。
政府の方針には逆らえない国民性だと思うのだが、これを一致団結と言うのだろうか?
また、公にはこのように被災地復興に向けて動きを越している中国だが、個人個人となるとどうも信用できない。
募金活動は、災害のときに最初に起こる救済活動だ。だけど、我々が支援した物品が本当に被災者に渡るのか?
どうしても信じられない。現実に支援物資を横流ししようとした役人が多数罷免されたとのニュースが日本でも伝えられている。当局による見せしめの一環かもしれないが、そういう犯罪連中をトラックの荷台に乗せてさらし者にしていた。こんな状態で、募金活動などする気にならない。
実は、オレは中国滞在中に、ある小学校に毎月寄付金を送り続け、帰国の際にはその小学校にピアノを寄贈したのだが、全部、直接自分が見えるようにやった。わけの分からない慈善団体に寄付をしても途中で横領され、一部しか子供たちの手に渡らないことを懸念したからだ。その小学校の校長と面談して、毎月援助した子供の顔写真と経歴書を送ることを条件に寄付を続けた。帰国直前には最後の記念としてのピアノは自分で現物を届けた。
四川大地震復興に対して、日本の大手企業の中でも中国に関連している会社は、次々に支援金額を発表しており、オレが所属している日本本社も赤十字社を通して数百万円の募金を表明しているのだが、ちゃんと被災者に届くのか心配だ。
募金ひとつをとって、こんな心配をしなければならない自分が悲しい。
だけど、中国に馴染んで5年以上いたら、誰でも心配することだと思う。
通勤時間が長くて毎日の自由時間が短くなったことは、以前にも書いたことだが、出張があったり、付き合いの飲み会が増えたり、関心事項が広がったりと、中国単身赴任時代とは生活パターンが変わってしまい、ブログを書く時間が減ったことにより、更新頻度が下がってしまった。言い訳!!
四川省の大地震では、すでに3万人が亡くなり、生き埋めや行方不明の人数を考慮すると、最終的な死亡者数は、5万人を超えると予想されている悲惨な災害だ。二次災害や疫病などが広がらず早く復興してくれることを望むしかない。
ニュースを聞いて最も悲惨だと感じたのは、学校が崩れ落ちて、子供たちが丸ごと生き埋めになった事例が1校2校ではないと言うことだ。これは、建物の構造に由来する人的被害だと思う。
今回の地震エネルギーは阪神大震災の20倍とか30倍とか言われているので、被害がある程度大きいのは止むを得ないのだが、人的被害を拡大したのはレンガ壁による建物のせいだと思っている。
レンガ壁の危険性については、
一皮剥けばレンガの壁に書いたことだが、予想通りレンガが崩れ落ち、隙間なく積み上がって、人が這い出る隙間を埋めてしまった。ニュース写真を見ると猫も入り込めないほどの瓦礫の山になっている。
レンガの壁をもう一度説明しておくと次のような構造だ。
建物の内部はこんな風に柱が梁と上階の床を支える骨格を構成している。基本構造には壁はない。

間仕切りの壁は、このようにレンガを積み重ねてセメントで固めている。壁の中には鉄骨や鉄筋はなくただレンガを重ねているだけだから、強度は期待できない。


小さな壁は、レンガを横に使って薄い壁になる。
こんな構造だから、間仕切りの変更は簡単だ。レンガをハンマーで崩せばよい。
人間がハンマーで叩いて崩れる壁だから、地震エネルギーで振動を与えたら、簡単にレンガ壁が崩壊するのは誰でも分かるだろう。震度4くらいで崩れるような気がする。
大連は地震がないから関係ないとは言っていられないだろうな。(本当は)
成都住在のKMさんからコメントを頂きましたので、要点を掲載します。
全文は下のコメントをご覧ください。
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成都からKMさん
成都からの報告です。アメリカの地震専門機関での解析で、当市の震度は4〜5弱に相当するとの報道に接しています。しかしながら、私の大学で上記(震度4くらいで崩れる)の現象はまったく起きていません。壁表面の漆喰に何か所かひびが走った程度です。
ようするに、建物の基本的強度は柱にあります。壁はあまり強度に関係していません。ですから、報道の映像で見る倒壊した学校、例えば都江堰市の中学の場合もビルであり、基本的に柱の強度が不足していたことによる崩壊と見るのが妥当です。もちろん壁にも強度を負担させ、このため壁も鉄筋を入れる構造にしておくことがよいことは当然です。ですが、これは日本のような地震国でいえることで、世界の大半の国はそうなっていません。
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文化の違いによるリスク
文化とは何か?とまじめに考えてみると、衣・食・住の基本につながるものから、生活習慣・芸能・絵画。文字、さらには言語・宗教・政治と、その国や地域の全てを含んでいるものだと思う。これを論じても発散してしまうので、ここでは比較的狭い意味の文化、つまり習慣や風習に限定することにする。
中国人の思考パターンには、状況に応じた敵と味方という区別があるような気がしてならない。
敵と味方というのはきつすぎるかもしれないが、身内と他人との区別と言うか。
たとえば、家族と親戚、親族(血縁)と他人(無血縁)、友達と他人、社内と社外、地域内と地域外、南部と北部、中国と外国、こんな区別は日本だってあるだろうと言われるが、その線引きがはっきりしていると言うか、、、、。
どう表現したら理解してもらえるだろうか?
たとえば、誰しも自分の子が一番可愛いに決まっているのだから、他人の子供よりも優遇するのが当然なのだ。 もっと具体的な例で言えば、幼稚園のお遊戯発表会があるとすると賄賂を使ってでも我が子を主役に選ばせようとする。 最近は、さすがに露骨な賄賂は少なくなっているようだが、寄付金を弾み、主役のソロをやらせろと迫る親は多い。それが子供のためだから、子供を愛している証だから。
今の日本では、公共の場においては、自分の子供でもよその子供でも公平に扱うのが当たり前の考え方だと思うが、中国では違うのだ。
身内を大事にすると言うことだが、悪い表現をすれば身贔屓が強いのだ。身内を大事にすると言うことは他人を排除することに直結している、だから、敵味方の線引きと言う表現を使ったのだが。
自分の子供ともなればどんな場面でも身内だが、中間に位置する人は、場面場面に応じて、敵になったり味方になったり立場が変わることになる。
このような関係の中で血縁関係にはなれないが、それに近いのが「朋友(友達)」の関係だ。「朋友!」として握手すれば、かなり身内に近い関係であり、相当に面倒を見てくれる間柄である。これが、また、日本人には分かりにくいのだ。 朋友関係がもっと進んで義兄弟と呼び合うこともある。
中国では、兄弟、姉妹と呼び合う範囲がかなり広い。親しい間柄の従兄弟なんかは、大概お兄ちゃんやお姉ちゃんと呼び、平然と妹ですと紹介する。 このノリで、親しい朋友の間柄では、兄弟と呼び合うことも珍しくない。
日本人が酒の上のノリで「トモダ〜チ」なんて軽く握手をするが、中国人の「朋友」はそれよりももっと重い関係だ。 友人の紹介で酒の席で意気投合して「朋友!」の握手をしたら、身内同然の扱いをしてくれる。極端な場合は、朋友を接待するのに金が足りなければ借金をしてでもご馳走してあげることさえある。
朋友関係に欠かせないのが「酒」だな。
何しろ、乾杯をしないことには友達になれない、友達になれなければ、まともな付き合いができないと言う思想が根底にあるから、乾杯なしで仕事をしようとしてもなかなか難しい。
何がリスクだか分からない乱雑な文章になってしまった。
今回は、毛沢東50元札1999年版の偽札だ。
100元札では目立ちすぎるから50元偽札を作るんだろうか?
まず全体観察から。

上が真券で下が偽札だ。
手触りで、毛沢東の詰襟から肩の辺りのインクの盛り上がりをチェックすると真券はザラザラした感じがするが、偽札はするっとしているので、お札を扱い慣れた人ならすぐ分かる。右下の盲人触覚用の点字部分も偽札ではつるっとしている。
よく見ると、偽札の毛沢東の後頭部の右側の菱形ブロックの中に縦書きの白い文字で50と書いてあるのが見える。ここには、影文字で50が表記されるのだが、技術的に難しいものだから、いんちきをした跡なのだ。
真券ならこの部分に光を斜めに当てると、影で50の文字が浮かび上がる。こんな風に

ただし、これは2005年版の写真だが。
偽札で似たような効果を出そうとしたものだが、よく見ればいんちきだと分かる。
例によって、透かしを観察しよう。

上が真券、下が偽札だが、どちらも良くできているので、透かしを見ただけでは真偽が分からない。
50元札には、札の左下の角の部分に、表裏の半円を透かしてみるとぴったり一致する中国銀行マークがある。

左が真券、右が偽札だが、かなりよくできているので、ここで真偽は決められない。
次は、紫外線照射で光る蛍光印刷のチェックだ。

左が真券、右が偽札。偽札の方がボヤァっとしているが、一応光ることは光っている。

オレがいつも決め手として使っているのが、国章と瞳の印刷だ。
上が真券、下が偽札。明らかに偽札の精度が悪い。
最後は、毛沢東肖像画の瞳の部分だ。

瞳の中の鮮明さが全く違うので、右が偽札だと分かる。
ここまで丁寧にチェックしないと分からないくらいに、良くできているが、冒頭に書いたように慣れた人なら手触りですぐ分かる。
精神安定上のリスク。
言葉の通じない異国に一人で放り出されて、精神的に参ってしまい、精神状態が不安定になってからの最も悲惨な結末は自殺だろう。
中国で医療援助サービス事業をしている、
ウェルビーと言う会社があり、毎年、重大医療対応ケースの報告書を送ってくれる。
毎年のレポートを見ると、必ず数名の自殺者数が報告されている。
わざわざ中国まで来て自殺することはあるまいに!と思えるのは、精神が健全だからこそ。なんだろうな。
日本にいても自殺する人はいる、しかも最近増えているらしいし、硫化水素自殺などと言う迷惑な方法が流行って他人を巻き込んでいるのは困ったものだが、外国で自殺しようとするのは、もっと刹那的ではないだろうか?
本社からは、指示した事項がうまく行かないのは、あんたの管理能力に問題があるからだと責め立てられるが、中国特有の事情を考慮してくれないと思いつつも、反論できるほど論理展開が整理されているわけもなく、ただ、首を垂れて叱りの言葉が頭上を通り過ぎていくのを待つだけでは、精神状態もおかしくなろうと言うものだ。
言葉は通じない、仕事はうまくいかない、遊び相手もいない、本社からはうるさく言ってくる、どうしたら良いか分からない→→→追い詰められて→→→論理思考の破滅、死ぬしかないという結論になるのが典型的な例だろう。
同じ環境でも気が変になる人と、辛いながらも凌げる人と、さらりと流せる人と、いろいろだが、日本にいるときよりもリスクが高いことは間違いない。
幸い、オレは、感受性が鈍くさらりと流せるタイプに近いのかと思うし、週末には必ず付き合ってくれるテニス仲間がいたし、毎晩ビールを7本も飲んで憂さを晴らす技も使って、ストレスを抜いていたので、自殺には追い込まれず6年間を無事に過ごしてきたが、こういう技が使えない人は大変だと思う。
ま、とにかく、無難に6年間を過ごし、生きて帰ってきたことで安堵。
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