大連雑学事典

2008年3月までは、大連在住の総経理が現地レポート、その後は日本からの回顧録や中国語トピックス。 過去の記事は右下太字の「大連雑学事典ハンドブック」を参照してください。

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>仏教には「位牌」という考え方はなかった、という説を聞いたことがありますが、本当でしょうか? BEO #-さん、長くなりますがお答えします。 確かにその通りです。 古代、中国人は次のように人の生死を考えました。すなわち、人は精神部分(魂)と肉体部分(魄)の2部分から成り立ち、この両者が共存するときが生で、分離したときが死と考えました。そして、両者が分離して人が死となると、魂は天上(実は雲)に、魄(白骨)は地下に行きます。当然ながら、この二つは消滅したわけではなく、存在しています。したいがいまして、この両者が再び共存できれば、死から生に戻ることが出来ると考えました。すなわち、中国人は生死に時間的可逆性が有ると考えたのです。そこで、死者を生に戻す儀式(魂降し)を行ない、生を復活させようとします。これが招魂復魄再生(招魂再生)です。空中にいますから、魂は誰にも触れることが出来ず安全です。しかし、魄は地上にあるのですから、誰にも触れることが出来、動物にすら持って行かれる恐れがあり、安全ではありません。そこで、魄(白骨)を安全に保存管理する必要がありました。その施設が墓です。以上により、魂と魄が安全となり、招魂再生を行なえば、死者が蘇り、遺族は再会できることになります。この儀式において、魄は天上から何処に行けば分かりませんから、遺族がその地点を示す必要がありました。それが死者を象徴化した依り代(木主)です。これは木で作り死者の名を記しておき、大切に家の廟に保管しておきました。招魂再生の儀式においては、煙を焚いて、魂の木主への道筋とし、墓に酒(水)を撒いて、魄が地上に出られるようにします。こうして、魂魄は共存することで再生できるのです。そして、遺族と再び話すことが出来ることになります。こうして、遺族と再会した後、魂と魄が分離して天上と地下に戻るのです。したがいまして、この木主と墓を管理する者が無ければ、招魂再生は行えません。死者は蘇れません。この管理者こそ、遺族、すなわち子孫です。子孫が永続していれば、死者も永遠に再生できます。これと男系制社会とが結合して、中国の家制度が生まれたのです。したがいまして、中国の家の目的が血の存続であることがお分かりでしょう。以上が、儒教の宗教的なバックボーンです。 仏教は人の輪廻転生からの解脱を追求します。それにより人はこの世の煩悩を消し去ることが出来、仏になれるのです。輪廻転生とは、死により、そこで終わるのではなく、六道(天・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)の世界で他者に生まれ変わり、それを永遠に繰り返すことです。したがいまして、死により人はそれ以前の世界と関わりを断絶されます。当然ながら、遺族とも関係なく、残された肉体とも無縁となります。すなわち、墓は無意味となります。 この仏教の基本と儒教のそれとは矛盾します。そこで、中国に入った仏教は儒教と衝突して、そのままでは中国社会に広げることが出来ませんでした。最終的には、儒教の招魂再生を取り入れてことで、仏教は中国で生き延びることが出来ました。それは隋唐代です。このため、『盂蘭盆会経』を中国人は創作しました。これによる儀式が盂蘭盆会、すなわちお盆です。木主は位牌に、柴を焚くのは焼香となります。そして、招魂再生は先祖供養となります。墓も必然となります。この中国で変容した仏教が日本に伝来されたのです。
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