
日本語では「顰みに倣う」という。
直訳すれば、東施(女性の名前)が顰(しかめっ面)をまねるとなるが、その意味するところは、身の程もわきまえず見境いなく人まねをして物笑いとなること。あるいは、自分の物まね的な行為を謙遜して言うときにも使う。西施は越国の有名な美人だった。ある日、彼女は胸が痛くなったので、両手で胸を押さえて顔をしかめたら、その苦しむ様子をみて、人々は特別に美しいと感じた。
人々が西施を美しいと讃えるのを聞いた東施というブスが西施の真似をした。ことさらに手を胸に置き、きつく眉にシワを寄せて、自分では西施と同じように美しいと思った。
近所の人たちは、東施がさらにぶざまになった様子を見て、みんな遠くに離れて身を隠した。
西施:春秋時代に、越王勾践が呉王夫差に贈った美女。美人の代名詞。
東施は、西施の名前をもじったもの。
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齋王の嫁女吐という名の男が、牛肉販売を生業としており、経営方法がとても賢く、その為商売も繁盛していた。
ある日、齋の王が吐に人を遣わして、言った。
「齋の王は、豊富な嫁入り道具を準備して、王の娘をあなたに妻として嫁がせるつもりだ。これはとても素晴らしいことだ」吐は聞いて、身に余る栄光を受けず、続けざまに手を振り振り言った。
「いやいや、とんでもない。私は病気だし、妻を娶るなど出来ません」と。
使いのものは、分けが分からないまま帰っていった。
その後、吐の友人がこの件について聞き及んで、とても変だと思った。
吐はこれほどの馬鹿者だったのか?
そして吐に薦めた。
「お前は、こんなにアホだったのか? お前は、たかが肉屋だろう、毎日生臭い屠殺場での生活だ、どうして豊富な嫁入り仕度付きの齋王の娘との縁談を断ったんだ?全く何を考えているんだか分からないよ」吐は笑いながら言った。
「齋王の娘は実はすごいブスなんだ」吐の友人は分けが分からず聞いた。
「お前は斉王の娘に会ったことがあるのか?」「いや、会ったことはないけれども、肉売りの経験から分かるんだ、斉王の娘がブスだって」友人は納得できなくて聞いた
「どうして分かるんだ?」吐は、ちゃんとした考えがあって答えた。
「ボクは牛肉を売っているだろう。ボクの牛肉の品質が良いときには、数量が足りるかどうかだけが問題で、お客さんは、ボクがおまけしたり値引きなんかしなくても満足してくれるし、心配なのは、肉が足りないことさ。
肉の品質が良くないときには、肉をおまけしたり、値引きしても要らないと言われて、牛肉は売れ残るんだ。
この間は、斉王が嫁入り道具に金をかけたのは、牛肉を売るときにおまけの肉を追加するようなもんだ。だから、王の娘はブスだと思ったのさ」吐の友達は、吐の言うことをしっかり理解し、二度と彼に薦めなかった。
しばらく経ってから、吐の友人が斉王の娘を見たが、とても見られたものじゃなかった。
この友人は、思わず吐の先見の明に敬服した。
このことは、直接の関係はなくても、物事の道理は通じていることを示している。
もし、吐が自分の感覚を信じずに、生活の中の物事を応用する考えを持たなかったら、好まざるブスな嫁を娶っていたかもしれない。
見掛け倒しで、本物ではないことの例え。表裏が一致しない人。日本語で言えば、「葉公(ようこう)龍を好む」となるんだろうが、ことわざ辞典にも載っていない。
中国では、子供向けの絵本にも出てくるくらいポピュラーな成語だ。
昔、葉公、名を高という龍が大好きな男がいた。
身に着けいている剣には龍の彫刻を刻み、杯の上にも龍を彫っていたし、壁や窓枠、梁、家の門にも大好きな龍を描いていた。
天にいた龍がこの話を聞き、天から降りて葉公の家を訪れた。
龍が寝室の窓から覗き込み、尻尾はダイニングの外側まで伸びていた。
葉公は、本物の龍を見て逃げ惑い、肝をつぶして顔色を失った。
本質的に、葉公は龍が好きなのではなく、龍に似た物品が好きなだけだったのだ。
「好」が、ニイハオの3声の「好」と違って、4声なのに注意。
「葉」と言う字が、どうしてこうなったのか、分からない。恐らく民衆に普及した俗字があったのだとおもう。
員数を揃えるために不良品を混ぜてごまかすこと。戦国時代のこと。斉の国の宣王は竽の演奏を聴くのが好きで、特に合奏を好んだ。
宣王は、300人の竽の楽隊を雇っていた。この中に南郭先生という男がいたが、彼は竽を吹けないのに、吹くマネをして給料をもらっていた。
その後宣王がなくなり、息子が新しい王になった。新しい国王も竽の演奏を聴くのが好きだったが、独奏を好んだ。彼は、300人の楽師に一人ひとり演奏させた。南郭先生は、ごまかしがきかなくなったことを知り、こっそり逃げ出した。
その後、本当の才能や知識のないものが、数を揃えるために混じることを比喩する言葉になった。
また、時には自らの謙遜を表すこともある。

晏子がジュウチュウを責める。
斉景公は、とても鳥が好きで、いつも色々な鳥を捕まえた者に、奨金を与えており、ジュウチュウと言う名の一人の男を、捕まえた鳥の管理人に任命した。
ある日、ジュウチュウは不注意で、管理していた鳥に逃げられてしまった。斉景公はかんかんに怒ってジュウチュウを処刑する準備をさせた。
晏子はこの事件を知って、急いで斉景公に面会して、斉景公に言った。
「ジュウチュウは罪を犯しました。
私が奴の罪状を列挙しますから、それを聞いてから、王は、ジュウチュウを処刑する判断をして下さいませ」斉景公は晏子の言うことに同意した。
そして、晏子は、ジュウチュウを連れて来させて、斉景公の面前でジュウチュウの罪状を述べ始めた。
「大王は、お前を鳥の専門管理人に任命したが、不注意で鳥に逃げられてしまった、これが第一の罪状である。
お前が鳥を逃がしたために、大王は人を殺さなければならず、大王は殺人者の汚名をきせられる、これが第二の罪状である。
もし諸国の王がこれを聞いたら、我らが大王は人命よりも鳥を大事にすると思い、これにより大王の威信を失ってしまう、これが第三の罪状である。」晏子は、一気にジュウチュウの三つの大罪を挙げた後に、王にジュウチュウの処置を求めた。
晏子が、ジュウチュウの罪状を読み上げているときに、既に斉景公は我に返って、手を振りながら
「殺すな、殺すな、ワシが怒ったのは間違いだった。臣下の指摘のおかげで分かった」このように、斉景公はジュウチュウを殺さなかっただけではなく、更に遺憾の意を表示した。
同時に、晏子に対して感謝の意を示した。
智謀にたけている人が正面から批判してもうまく行かない状況の下、往々にして側面から迂回する方法を取ることで成功することがある。
南京市で鳥インフルエンザの死亡者が出たことで、また騒がしくなってきたが、鳥インフルエンザについて自分なりに解説した記事があるのでご覧ください。
鳥流感
自分から名乗り出て一役買って出ること。戦国時代、秦軍が趙国の首都「邯鄲」を取り囲んだ。
趙王は、平原君に命じて、楚の国に救援を求めに行かることにした。
平原君が、文武両道に秀でる者20名を引き連れて楚国に行くことを決めたときに、毛遂という男が言った
「どうか私を一緒に連れて行ってください」と。
平原君は言った。
「お前は私の下で3年を過ごしたが、お前に何らかの才能があるとは聞いたことが無いぞ」毛遂は言い返した。
「私にはそれを示す機会がありませんでした。もしもっと早く私を使ってくれたなら、袋の中の錐が袋を突き破るように、尖った錐の先端をお見せすることが出来たでしょう」平原君たちが楚国に到着してから、大事な瀬戸際で、毛遂の機知に富んだ決断のおかげで、やっと楚王は趙国との連合に合意して秦に抗し、遂に「邯鄲」の包囲を解くことが出来た。
髪の毛一本を抜くことさえ惜しむ、ひどくけちな様子。清朝の頃、みんなが「六叔父」と呼ぶ金持ちがおり、すごくけちだった。
彼は毎日貧乏人を高利で絞り上げ、ある日、疲れで病に倒れ危うく死ぬところであった。
3日後に少し快復し目を覚ますと、部屋の中にいっぱいの友人達を見て、なにか言いたそうだった。
上の甥が聞いた
「六叔父、まだ二人が来ていないことか?」下の甥が聞いた
「どこかにある金をまだ言ってないのか?」だけど、妻は、二本の灯芯が燃えているのに気が付き、すぐに一本を取り去った。
この時、六叔父は少し満足した。
突然、息を引き取る前に六叔父は涙を流しながら、妻の耳元で言いつけた。
ワシが死んだら、
ワシが死んだら、棺桶は使うな、穴を掘って埋めればよい
ワシが死んだら、坊主のお経は要らない、自分で死後の世界で念仏を唱える。
ワシが死んだら、皮膚を剥がして、革職人に売れ、髪の毛を抜いて刷毛屋に売れ、一本足りとも無くすんじゃないぞ。
そそっかしい。いいかげんだ。ぞんざいである。うかつである。人々は「馬虎」を「ぞんざい」であるとか「不注意」であるという意味で使っているが、この言葉の背景には、一つの血涙の事実があったのだ。
宋の時代の京城に一人の画家がいた。
作風は気ままで、人々は彼が何を追及しようとしているのか良く分からなかった。
あるとき一頭の虎の顔を描き終えた丁度そのとき、一人の客が馬を描いてくれと訪ねて来た。画家は、すかさず虎の顔に馬の身体を描き加えた。
客が
「一体全体、これは馬かね?それとも虎かね?」と聞くと、
「馬馬虎虎!」と答えた。
客が要らないといったので、画家は応接間に飾っておいた。
長男が
「お父さん、これは何の絵なの?」と聞くと
「これは虎だよ」と答えた。
次男が
「お父さん、これは何の絵なの?」と聞くと
「これは馬だよ」と答えた。
やがて、長男が狩りに出かけたとき、他人の馬を虎だと思いこんで射殺してしまった。画家は馬主に弁償しなければならなかった。
次男が外出したとき偶然虎と出会ったが、次男は馬だと思って乗馬のように背中に乗ろうとして、虎に食い殺されてしまった。
画家は悲痛に苦しみ、その絵を焼いて、一首の詩を書いて自分を責めた。
馬虎図
馬虎図
馬に似てまた虎に似て
長男は図のために馬を殺し
次男は図のために虎に食い殺された
粗末な家で焼いた馬虎図
尊敬する諸君 私を真似るでないこの詩は、良い出来とは言えないが、この教訓は問題の本質に触れている、ここから、
「馬虎」の言葉が言い伝えられている。
2007年10月26日追記:
「馬虎」の場合、「虎」の三声は間違いではないかとのコメントをいただきました。
手元の辞書で調べたところ、「馬虎」では「虎」は軽声で、「馬馬虎虎」では一声でした。
これまでの表示、「虎」が三声は誤りでしたので、お詫びして、軽声に訂正します。
ご指摘を頂いたXXXさん、ありがとうございました。(匿名なので名前を伏せます)
失敗を繰り返さないように事後の補強をするのに遅すぎることは無い。と言うこと。
ある男が数匹の羊を飼っていた。
羊の檻が壊れていて抜け穴が出来ていた。
夜になって狼が抜け穴から忍び込み、1匹の羊をくわえて連れ去った。
隣人が彼に言った
「あんた、早く羊の檻を直して、抜け穴を塞いだ方がいいよ」彼は言い返した
「へっ!羊はもう連れて行かれたんだ、今更直したって遅いさ」翌日の朝、男は再び羊が一匹少なくなっているのを見つけた。
狼が又抜け穴を通って羊をくわえて行ったのだった。
男は最初に隣人の忠告を聞かなかったことをとても後悔した。
そして、すぐに抜け穴を塞ぎ、羊の檻の修理を済ませた。
こうして、彼の羊は、再び狼に連れ去られることはなかった。
事実無根の事柄でも、多くの人が口を揃えて同じことを言うと、やがては真実として世の中に広まってしまうということのたとえ。
日本語では「三人虎を成す」と読む。
最近のマスコミでは、良くあることだ。ゴシップ記事を信じないように。
龐恭(パンゴン)が魏の王に尋ねた。
「もし、ある人があなたに対して、街に虎が出たと言ったら、信じますか?」魏の王は答えた。
「ワシは信じないだろう」更に龐恭は魏の王に尋ねた。
「もし、二人の人が、街に虎が出たと言ったら、あなたは信じますか?」
「少しは疑うだろうな」
「それでは、三人の人が、街に虎が出たと言ったら、信じますか?」
「そりゃ、信じるだろう」実際には、街中に虎はいなかったのだ。
だけど、三人が口を揃えて虎がいたと言えば、まるで本当に虎がいたかのようになってしまう。
中国語での「三」は、実際の「三」より大きな「たくさん」の意味を持つことが多く、この場合も厳密に三人が言ったのではなく、大勢の人が言ったと読み替えるべきである。
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