4年ぶりに大連に行って思ったことの一つは、
『タクシー代を値上げしてやれよ』ということだった。
よそ者がでしゃばって、勝手なことを言うなと言う勿れ、ちゃんと理由があるのだから。
詳しいデータはないが、直感的に、感じたのが次の二点。
(1)タクシー運転手のマナーが悪くなった
(2)流しのタクシーの数が減った。
大連空港から開発区の中心部までのメーターは、60元からせいぜい70元だ。
4年前までは、メーターで清算するタクシーが普通だった。
ところが、今回空港から乗ったタクシーはこんな具合だった。
空港の国際線到着ロビーを出たが、タクシー乗り場が分からない。
怪しげな男が近づいてきて、日本人と見るや
『たぐし、たぐし』と声をかけてくる。
こんな、白タクまがいの怪しいやつを相手にしてはいけないと、2人ばかり無視したが、他に車も見当たらないので、3人目の呼びかけに応えた。当方は、中国語で喧嘩が出来る大先輩とわたしの二人連れだ。大先輩が、中国語で交渉を始めた。
「開発区まで幾らだい?」「開発区はのどこだ?」 と運転手。
「中心部の△□ホテルだ」「それなら120元だ」「高いから止めた、乗らない」 と、大先輩。
「分かった、分かった、安くするよ、幾らなら良いのか?」「100元だ」「100元だって! せめて110元にならないか」 未練がましい運転手。
「じゃ、別の車を探すからいらない」 あくまで強気の大先輩。
「しょうがねぇな、100元でいいよ」車は白タクではなく、タクシーの塗装をした正式な車で、メーターも運転手の許可証もついている正式なタクシーだ。
こうして、トランクに荷物を積み込んで、我々二人が後部座席に乗り込んだ。 すると空いている助手席を見つめていた運転手が言った。
「もう一人、探してくるから、ちょっと待ってくれ」 相乗り客を探そうという魂胆だ。
「冗談じゃない、我々は急いでいるんだ、すぐに出ないなら、降りるぞ」 と大先輩は譲らない。(急いでいたかどうかは知らないが)
「すぐ戻ってくるから」 あくまでも未練たらたらの運転手。
「ダメだ、じゃ、ここで降りる」 と大先輩が脅す。
仕方なく、運転手があきらめて、空港の駐車場を出て、開発区方面に走り出した。と、思ったとたんにいきなりユーターンした。仲間のタクシーに横付けして、
「おい、開発区に行くなら、後ろの二人を引き取ってくれねぇか。100元なんだけど。おれは別の客を探すから」「ああ、良いよ」 仲間の運転手は気軽に引き受けた。
「お客さん、あっちの車に乗り換えてくれ」「ふざけるな、お前が100元で行くと言ったから、我々は乗ったんだ。乗り換えなんか出来ない」「ちょっとだけじゃないか、荷物は移すからさ」「絶対ダメだ、無茶を言うと、このまま警察に行くぞ。コノヤロ」 大先輩は、一歩も引かず運転手の背中を小突く。
大先輩の迫力に負けた運転手は、しぶしぶ、開発区に向けて走り出したが、その運転振りのむちゃくちゃと言ったら、とんでもない神風タクシー
(日本ではもはや死語だが)だった。
(こいつは必ず事故を起こす。その日が今日でないことを祈る) そんな心境の30分間だった。
なんとか、事故を起こさずにホテルに着いて、大先輩が100元の約束に色をつけて110元を支払った。
(これはこれは、思いがけずどうもどうも)と感謝の言葉が出るかと思ったが、出たのは悪態だった。
「なんだよ、110元か。120元くれよ」 と運転手は納得していない。
せっかくの好意の10元を無視された大先輩は、憮然としていた。
4日後の帰りは、ホテルの前で待機していたタクシーで空港まで行った。
流しのタクシーなら、事前に値段交渉をするが、ホテル前で待機しているタクシーは、メーターで行くのだと思い込んでいた。
空港に着いてみたら、メーターが動いていない。こともなげにひと言
「120元」三人も乗っていたので、金額で困るわけではないが、大連のタクシー現況を見た思いがした、往復の乗車だった。
なぜ、こんなことになっているのか、わたしなりに考察してみた。
大連のタクシー料金は、
2006年5月に少額値上げされたが、その後変わっていない。
しかし、2006年以降の大連の消費者物価指数は、急激に上昇しているのだ。
大連市物価局が公開している指数を元に、2006年からの物価指数をグラフに示したのが下の図だ。

見て分かるとおり、総合物価指数は、2006年1月に対して2012年1月では123%に上昇しており、食品だけを見ると164%である。
これに対して、交通・通信費は、逆に92.7%に低下している。この低下は、通信費のインターネットや携帯電話の料金が低下したためで、タクシー代は変わっていない。
タクシー運転手がそれほど豊かな生活をしているはずもないので、
エンゲル係数は高いことだろう。
2006年以降、工場労働者の最低賃金は、何回も見直されて上昇している。
このような状況で、タクシー運転手の賃金が据え置かれているのだから、生活が苦しくなった彼らがシャカリキに稼ごうとするのも理解できる。
中国人気質として、苦しい状況に甘んじているはずがないので、生活できないとなれば、とっとと廃業するか、雲助運転手になりきってひたすら稼ごうとするか、どちらかだ。
だから、タクシーが少なくなり、荒っぽい悪質な運転手が増えているのだと思う。
こんな状況を放置して、市民の足を不便にしているのは、行政の怠慢ではないか。
適正な値上げを認めてやって、運転手の生活を保障することによって、汎用交通の秩序を保つのが正しい姿なのではないかと思う。
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2008年に帰国してから、4年ぶりに大連に行った。
自動車が増えたし、新しいビルも出来て、開発区の町並みは多少変わったような気もするが、一歩裏に回れば汚いし、中国人の基本的なところはあまり変化していない印象だった。
特に、中国人のサービス精神欠如は、まったく変わっていない。
4年前に使っていた古い携帯電話の番号を変えずに使おうと、私は、料金前払いのカード(充値卡)を求めてあちこち探し回った。
事情を説明しているつもりだが、私の中国語がおぼつかないので、どこでもらちが明かない。
しばらく歩いていたら『中国移動』の看板を見つけた。
日本なら『NTT docomo』か『au by KDDI』かというような、通信大手である。
ここで聞いてダメなら仕方がないと決めて店に入った。
昼時だったので、若い女性店員がうどんを食べていた。
持っていた4年前の携帯を取り出して、
「すみませんがちょっと教えてください。この携帯に料金を前払いしたのですが」と言ったつもりだった。
女性店員は、私の声が聞き取れなかったようで
「前払いはどうのこうの、なんだのかんだの?」のようなことを言われたが、よく聞き取れなかったので、
「ティンブドォン(なにを言っているか分かりません)」と答えた。
さぁ、ここで日本の女性店員なら、どうするか?
例えば、NTT docomoの営業所に、謎の中国人が来て、旧式の携帯電話を取り出して、何か分からないことを言っている状態だ。うどんを食べていた女子店員はどうするだろうか?
そもそも、店番の途中で、うどんを食べていると言う設定が日本では無理があるのだが、それはひとまず置いといて。店番の女子店員は困るはずだと思う。
(え、中国人が何か言っている。カタコト日本語のようだが良く聞き取れない。困ったな。どうしよう。誰か呼んで来ようか。図を描いて詳しく聞こうか)
困った挙句に、
「すみませんがもう一度いってくれませんか」とか、申し訳なさそうにフォローすることだろう。
ところが、件(くだん)の中国女性店員は、まったく困った様子を見せなかった。
「ティンブドォン(分からない)なら、しょうがないわね」
そう言って、また椅子に座ってうどんを食べ始めたのだ。
もう、私の存在すら忘れたようだ。
少し大きい声で「有没有充値卡(充値カードはありますか?)」と聞いた。
彼女は、座ったままうどんを食べながら「没有(ありません)」と答えて、振り向きもしなかった。
我々の会話はこれで終わった。
事実はこれだけのことだが、相変わらずの、日中のサービス業の心構えの違いを感じた大連再訪問の初日だった。
入院中はベッドに横になっているだけで、暇な時間が多かったので、中国国営テレビが作成した「三国演義」のDVDを見てみた。1話当たり45分のドラマが、84話収められているので、毎週1回の放送ならば、1年半を越える超大河ドラマである。
日本語の字幕が付いているが、画像そのものは日本向けにアレンジされたものではなく、中国人向けに作られた物語りである。
中国で買ったDVDは、1枚当たり6元だったので、28枚組で168元(2400円程度)だったはずだが、日本で買えば5万円以上はするだろう。。
「三国志」は、紀元200年前後の中国の物語なのだが、その当時の日本は何をしていたかというと、ちょうど卑弥呼が活躍していた時代だ。卑弥呼が魏の国に使節を送ったという記録がある
。
三国志の呼び方だが、最近の日本では「三国志」で統一されているが、中国では史実に則ったあまり面白くない物語が「三国志」で、劉備玄徳を正義とし、架空の人物も交えて娯楽性の高いお話を「三国演義」または「三国志演義」と区別している。実際に読んでいないので詳しくは知らないが、「三国志」と「三国演義」では、内容に異なる部分が多々あるらしい。
古くから三国志の日本判が多数あるが、現代においては吉川英治の「三国志」が、標準ネタ本になっており、横山光輝の漫画本やアニメも吉川三国志が基本になっているようだ。三国志は登場人物がやたら多いので、アニメで書き分けるのは苦労があったことと思う。実際、横山光輝のアニメをみていると、同じ顔が出て来て区別ができなくなる。
昨日のニュースによると、河南省で曹操の墓が発見されたらしい。でも、本物なのかどうかこれからの研究解明を見守ろう。
クリスマスのことを、中国語では
「聖誕節」という。
クリスマスイブは文字通り「聖誕節前夜」、あるいは「平安夜」とも言う。
サンタクロースは、
「聖誕老人」だ。

簡体字で書くとこうなる。
「聖」の字が、どうしてこんな形になったのか、見当もつかない。
聖誕老人って、なんとも無粋な名前だと思う。

中国のサンタクロースは、なんかキモくないですか?
以前にも同じことを書いたので読み返してください。
聖誕快楽!中国のクリスマスは、商店やレストランなどが飾り付けて雰囲気を盛り上げようとしているが、一般家庭ではあまり騒がないような気がする。勿論、家々ごとに差はあるが。
24日夜追記
会社の何人かの社員に聞いてみたら、彼らの家にサンタクロースは来ないようです。
日本では、オレが子供の頃(50年前)に既にサンタが来てくれたので、大分中国とは違いますね。
年末になると、外国から「Merry Christmas & Happy New Year!」なんて書かれた、クリスマスカードが届く。
昨今のコンプライアンス上の観点からすると、このクリスマスカードは問題があるのだそうだ。
つまり、クリスマスはキリスト教独自の行事であるから、個人で発信するのならともかく、会社や役所の名前で
「特定の宗教に肩入れした文書」を公に発信するのは好ましくないという理屈らしい。
クリスマスを表示せず「Season's Greetings & Happy New Year!」なら問題ないという。
ちょっと、考え過ぎなんじゃないかなぁ!
今日は、旧暦の8月15日、日本で言うと、中秋の名月で、団子を食べる。と言うけれども、実際に団子を飾って食べる風習は、話だけになってきたようだが。
中国では、「中秋節」という、年間行事の大事な一日だ。
中秋節には、家族が揃って名月を見ながら団欒し、月餅を食べ、棗の実や葡萄を食べる。このような、まぁるいものを円満の象徴として食べるそうだ。
この日は、社員は早めに帰宅して、家族と共に過ごす。
中秋節と言えば、何と言っても月餅が欠かせない。
形態や大きさはいろいろあるが、例えばこんな箱に入っていて

コンビニなんかでは、1個売りもしているし、スーパーの特設売り場には、月餅の箱が山積みになっており、月餅娘が販売を支援している。

中身は、こんな形をしており、大きさはいろいろある。味は、伝統的なあんこ味、胡麻味の他、胡桃やアーモンドを入れたり、コーン味、チョコレート味、フルーツ味など各種増えており、また月餅は甘いものだったが、最近は甘さを抑えたものも人気だ。
企業では、社員に対して月餅を配布するところが多い。
ある大手企業では、自社のマークを刻した月餅を配布していた。新任の総経理が、費用はともかく注文したり、配布したりの手間が無駄だから、同じ金額を現金で社員に渡したらどうかと提案したところ、幹部社員から猛反対を食らったと言う話があった。
「会社のマークが刻印された立派な月餅を持ち帰らなければ、幹部社員として、家族への面子がなくなる」と言うのだ。
また、数年前までは、月餅セットの中に高価な茶器や、貴金属の置き物などを入れて、数千元、数万元という高額な「月餅」が話題になっていたが、今では、禁止されているようだ。と言うのも、このような意味もなく高価なセットは、主に役人に対する贈答(賄賂)に使われることが多いからなのだが。江戸時代の時代劇で、菓子折りの下に小判が仕込まれているの近い。
「うまそうな餅じゃ、越後屋! お主も悪よのう。」「とんでもございません、お代官様!!」てなもんですな。
大連市内の繁華街にあるデパートの壁。
ちょっと大げさに言えば、銀座通りのデパートの壁だと思えばよい。
2階から5階まで4フロアーにまたがる、大きな女性の下着のポスターが、何枚もでかでかと張り出されている。
こんな大胆なポスターを大通りに張るなんて、日本では考えられないんじゃないかな?
上海の豫園の周辺には、いろいろな技能職人が小さな店を出して、客の注文に応じてくれる。
例えば、似顔絵、切絵、木工細工、指で描く絵など。
そんな中に、1本の銅線を巧みに折り曲げて、輪郭文字一筆書きの職人がいた。
まず作品を見てもらおう。

サンプルの日本の総理大臣が「大平正芳」と言うところに歴史を感じさせるが。
ご覧の通り、文字の輪郭を一筆書きで描いていくだけのことなのだが、見掛け以上に大変難しいことだ。
ちなみに、「大平正芳」の半分までの仕上げた状態を見てみよう。

分かりにくいが「大平正芳」の左半分の輪郭が描かれていることが分かるだろうか?
この後、右半分を下方から仕上げていくのだ。
このように、非常に分かりずらい文字を、型紙も無しに、小さなペンチ一丁で、銅線を空中で器用に曲げていく。

くねくねとこんなに多くの回数を折り曲げたら、平面を保つだけでも大変そうだ。
これで、1文字10元。
日本人なら、40元、50元必要だが、中国人は2文字の名前も多いので、20元ですむ。
表示によると、1文字2分、英文字(アルファベット)は1文字1分としている。だから、日本人の名前4文字なら8分と言うことになるが、まぁ15分くらいはかかっていたな。
ここは、大連周水子空港の到着ロビーの端にある軽食喫茶店だ。

待ち合わせで時間をつぶすときにコーヒーを飲みながら待つのが主目的だと思うが、食事の時間にぶつかってしまったら、「牛飯」や「炒飯」「ラーメン」などを食べることが出来る。20~30元と高いが、空港料金なので仕方ない。
さて、この店内に、こんな表示が何箇所も書いてある。
「禁止打扑克」「扑克」とは、〔pu1ke4〕プォークァと発音して、トランプのことを意味する。おそらく英語の「ポーカー(poker)」が語源だろう。普通のトランプだから、遊び方はポーカーだけではなく、トランプの遊びなら何でも出来るし、トランプ手品は「扑克魔術」と言う。
「禁止打扑克」とは
「トランプ遊び禁止」と言う意味になる。
さて、空港の軽食喫茶にどうしてこんな掲示があるのだろうか?
オレが勝手に想像するに、開業当初に、何人かの中国人がここで
「賭けトランプ」をやって、大騒ぎしたに違いない。
大連の街角で、数人が輪を作って何かやっていたら、まず「賭けトランプ」だろう。将棋やマージャンのこともあるにはあるが少ない。

大連のトランプ遊びは、カードを2セット、3セットを使うのが普通だ。
「大連地区専用トランプ」という商品が目に付いたので買ってみた。

何のことはない、3セットのトランプが一つのパッケージに入っているだけのことだった。

以前トランプで遊んでいる連中の仲間に入れてもらおうと思ったのだが、ルールが分からず挫折した。なんとなく「大貧民」のようなルールだったが、詳しくは分からない。
この場所では、いつも人だかりが出来ている。
何かを囲んで、人がびっしり立っているので、簡単には覗けない。
覗けないとなると、余計見たいのが人情というもんだ。

カメラを上の方にかざして写してみると、こんな様子が写っていた。

実は、街頭象棋を指していたのだ。
「あぁ~! そこは危ないぞ!」なんて、大きな声で叫んでいる人がいるし、みんな必至の形相で見ているので、金でも賭けているのではないだろうか。
オレなんかにゃ、駒の進め方も、ルールも分からないが、熱心さだけは伝わってくる。
土、日は勿論のこと、平日でも夕方散歩していると、必ずこの人だかりを見かける。街頭で、いつもいつもこんなことをやっている人たちはいったい何者なのだろうか?
日本語で書けば「将棋」なんだけど、中国語では「象棋」となる。
「碁」は日中で共通だけど、「象棋」と「将棋」は、全く別物だ。
ホームベースのように駒の方向を示す形状的な特徴はなく、丸いので方向性はない。敵味方の区別は、黒文字と赤文字で分かれており、裏面は使わない。将棋の様に、取った相手の駒を使うことは出来ない。
日本将棋よりも、雰囲気的にはチェスに似ているかもしれない。
それもそのはず、インドの盤ゲームを起源として、西洋に伝わったのが「チェス」で、中国に伝わったのが「象棋」だという説がある。
さぁ、交通のマナーに関して、次の文章は○か×か?
1、少しでもお酒を飲んだら、十分注意して運転しなければならない。中国なら、多分
「○」なんだろうな。
だって、例え僅かなアルコールだとしても、注意しなかったら危ないじゃないか。
日本では絶対に
「×」だろうな!
じゃあ、日本では注意しなくても良いのか?
いやいや、そうじゃなくて、少しでもアルコールが入ったら運転をしちゃいけない。だから運転の注意をするとかしないとか、それ以前の問題だ。
じゃあ、次の問題はどうだ?
2、自動車の通行量が多い道路を横断するときには、安全のためにセンターラインで車の通過を待たなければならない。これは、日本では
「×」だ。
というより、通行量が多く、信号もない道路を渡らせるお母さんはいないだろうな。
ところが中国では
「○」だ。

目の前で、お母さんが男の子の手を引いて道路を横断している。
うまく写真に収めることは出来なかったが、この親子は、この後、センターラインで立ち止まり、車を2台通過させてから、向こう側に回った。
きっと、お母さんはこんなことを言ったと思う。
「車が多いときは途中で止まらないで、
ちゃんとセンターラインで待つのよ」って。
ここから20メートルほど離れたところにちゃんと横断歩道があるのだが、一向に気にしない。

だって、歩行者用信号があっても危ないのに、横断歩道だからといって、車が歩行者に道を譲るなんてことは有り得ないし、この横断歩道付近は交差点になっているので、却って危険度が増す。
だから、お母さんは、交差点じゃない道路を横断する方法を教えていたのだろう。
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