大連雑学事典

2008年3月までは、大連在住の総経理が現地レポート、その後は日本からの回顧録や中国語トピックス。 過去の記事は右下太字の「大連雑学事典ハンドブック」を参照してください。

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皿を重ねる

中国に住んでいると、慣れてしまって何気なく過ごしてしまうことが、言われてみれば、日本ではやらないなと思ったりすることがある。

ある宴会での料理なのだが、狭いテーブルの上に沢山の料理を持ってくるものだから置き場所がなくなる。

どうしよう!!

場所がないなら、重ねるしかないわな。
061212kasane.jpg

と言うわけで、皿の上に皿を重ねて、積み上げていく。
ごく普通に見かける光景なので、なんとも感じなくなっていたのだが、日本から来た友人が
「すご~い、料理の皿を重ねている」
なんて、驚くものだから、
「そう言えば、日本じゃやらないだろうな!」
と改めて感じた次第。

この上に、3段に重ねたのも見たことがあるよ。

さすがに高級料亭ではやらないが、一般のレストランでは当たり前のことだから、違和感を感じなくなってしまった。
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【金酒】

勘違い中国語シリーズ040【金酒】

「金酒」というと、金粉入りの大吟醸なんかのイメージだが、全く違う。

jinjiu.jpg

「金」は中国語で発音すると〔ジン〕となり、単純に発音の語呂合わせで、マティーニをはじめ、ジンフィズ、ジントニックなど各種カクテルのベースとなる「ジン」のことをさす。

ジンには、沢山のブランドがあるが、写真は、ボンベイ・サファイア。
最近、こいつをストレートで飲んでいる。

ちなみに
ウイスキーは「威士忌酒」
ブランデーは「白蘭地酒」
ラム酒は「蘭姆酒」
ウォッカは「伏特加」
カクテルは「鶏尾酒」
と書く。



月、木の定期更新とは別に、日本人が勘違いしやすい中国語を、不定期に紹介している。

大黒山で山火事

大連開発区の北側に、大黒山という山がある。
海抜600メートル強で、大連では一番高い山だ。

ふと見ると、右の峰に雲がかかっている、珍しいな!
070428dahei.jpg



と思ったら、実は山火事の煙だった。
070428huo.jpg
昨晩から燃えていたそうだ。

険しい峰の上だし、何もない場所なので、消火活動などしているのかどうか?
でも、火元はなんだろう?

追記:
午後には、鎮火していました。

【眼鏡蛇】

勘違い中国語シリーズ039【眼鏡蛇】

「眼鏡猿」なら知っているけど「眼鏡蛇」ってなんだぁ?

「眼鏡蛇」とは、中国語で「コブラ」のことだ。
あの猛毒を持ち、インドの蛇使いに踊らされる蛇のことだ。
kobu.gif

なぜ「眼鏡蛇」と呼ぶのか?

クビの後ろにある斑点模様(紋様)が眼鏡に見えるだろう。
これで、後ろの敵にも文字通りにらみを効かすのだ。



さて、ここから自分の無知をさらけ出すことになるのだが、念のために「広辞苑」で「眼鏡蛇」を引いてみたら、なんとありました。
「インドコブラの異称」と。
驚いたことに、日本語でも、眼鏡蛇って言うんだ。


月、木の定期更新とは別に、日本人が勘違いしやすい中国語を、不定期に紹介している。

パイナップル螺旋剥き

丁度2年前になるが、パイナップルバーという記事を紹介した。
夏といわず冬といわず大連では、パイナップルを剥いて8つに割り、割り箸みたいな棒に刺した物を路上で売っており、それをアイスキャンデーのように歩きながら食べるのだ。その風景は2年前と全く変わっていない。

今回、パイナップルを螺旋状に剥く道具と作業を見せてもらったので、紹介する。

070401pot.jpg
まず、完成品は、こんな風になる。
袋の上の方に、4.40と書いてあるが、4.4元の意味だ。ここではこのまま売っているが、これを、縦に8つに切って割り箸に刺すと1本1元で売れる。8元になるから当然利益も増えるわけだ。


まず、パイナップルの皮を剥く。070401muki.jpg
左手でパイナップルを回しながら、表面を削るようにサッサカ・サッサカと手早く手を動かす。

使っている道具はこれだ。
070401ple.jpg
家庭用の皮剥き器(ピーラー)を大きく頑丈にしたようなものである。刃が覆われているので、危険性は少ない。

皮を剥き終えたら、芽を削り取る。
螺旋状に削っていくと、見栄えも良いし効率的だ。
070401rasen.jpg


ここで使う道具は、V字型彫刻刀の大きなヤツだと思えばよい。
070401ckt.jpg


こうして出来たパイナップルバーを開発区っ子は歩きながら食べる。街頭には信じられないほどたくさんのパイナップル屋が商売をしているのだが、それほど売れているのだろうか。
中心部では、2メートル毎に6人が店を広げているところもあった。
香りも良く、甘みもあって美味しいのだが、歩きながら食うのに馴染めない。

【法人】

昨日まで4回に渡って、ちょっと堅苦しい大連開発区の歴史みたいなことを書いた。
大連開発区のことを知っているようでも、こうしたことをきちんと理解している人って意外と少ないと思う。そういう自分自身も良く知らなかった一人なので、調査したついでに記事にしてみた。

と言うわけで、今日からいつものペースに戻ります。


勘違い中国語シリーズ038【法人】

広辞苑によれば、「法人」とは、
「人ないし財産からなる組織体に法人格(権利能力)が与えられたもの。理事その他の機関を有し、自然人と同様に法律行為を含むさまざまな経済活動をなしうる」
とある。
まぁ、代表的なのは、株式会社を初めとする各種の会社だが、他にも財団法人とか社団法人、独立行政法人なんてのもある。
つまり、法人とはある資格を有する「団体」を意味する。

中国でも法律用語の「法人」は、会社などの「単位」(組織・団体)を意味することは、日本と同じである。

ところが、一般では「法人」と言うと、会社の「法定代表人」を短縮した言葉であり、通常は董事長あるいは総経理をさすと誤解している中国人が多い。つまり、「団体」ではなく「個人」だと。

しかし、会社の許認可証を見てみたら「法人代表」として総経理の名前が書かれている書類がたくさんある。もし「法人」が「法定代表人」であるなら、「法定代表人代表」と屋上屋を架すことになり不自然である。
今日の勘違い中国語は、日本人の勘違いではなく、中国人による勘違いを示すことになった。

日本では「東京産業株式会社代表取締役の印」が代表印になり社長の個人名は書かないが、中国では、代表人の個人名と登録番号を並べた判子が法定代表者の印鑑になる。例えば「鈴木太郎1345956842」言う具合だ。だから、董事長あるいは総経理が代われば、法定代表者印も作り替えることになる。
この判子は、小切手の振り出しなどお金に関わる書類には、財務専用印と並べて押さなければならず、非常に使用頻度が高い。

本日の記事は、当初、中国の「法人」は「法定代表人」の短縮だと書いたが、コメント欄の応答で、これが俗称であることがわかったので、内容を書き換えた。
コメント欄の議論を参照してください。
遼寧省営口市在住さん、ありがとうございました。



月、木の定期更新とは別に、日本人が勘違いしやすい中国語を、不定期に紹介している。


読者のコメントから:
遼寧省営口市在住さん
これは違うのでは?

失礼ながら、これはでっつさんの勘違いではないでしょうか?

念のために「百度」で「法人」をキーワードに、法律用語としての「法人」についての概念規定を書いてあるサイトを検索してみました。
その中のあるサイトでは次のように書いてあります。(原文は中国語文)

「法人とは一種の民事主体資格を享有する組織で、それは自然人と同じく、民事主体の範囲に属し、しかも民事主体の中の重要な構成部分であり、民法通則第36条の規定では“法人は民事権利能力を具有し、法により独立し民事権利を享有し民事義務を負う組織”…」
これで言えば、日本で言う「法人」と全く同じと考えて差し支えないわけです。

「法人」が「法定代表人」の「略称」というのは初めて聞きましたが、そういう使い方があるとしても、それは多分、俗称であって中国の法律用語で言う「法人」とは違うと思います。

大連開発区、23歳の今

「大連経済技術開発区」の行政をつかさどっているのは、「開発区管理委員会」だ。
通常は「管委会」と短縮される。
管理委員会の長は、管理委員会主任。現在は張軍主任が務めている。
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威風堂々たる「大連経済技術開発区管理委員会」の建物。

経済発展を目的として外資を呼び込み、沿岸地区の驚異的な発展の原動力となった各地の経済技術開発区は、初期の目的を終えて、別の段階に移ろうとしているように思える。

外資導入のために各種の優遇処置を講じていた国家の方針が変わりつつあるようだ。
例えば、
・操業開始後利益が出てから2年間は企業所得税が免税、その後3年間は半額減税、いわゆる2免3減の優遇処置が廃止されるらしい。
・国内企業の企業所得税率は33%なのに対して、開発区の外資企業は15%以下に抑えて優遇していたのが、内外企業の区別なく段階的に25%に統一されそう。

・移転価格税制の監視を強める傾向がある。

・外国人の個人所得税取立てを厳しく。
など、外資企業に対する優遇政策を見直す動きが活発である。

改革開放政策によって、出来るだけ多くの外資を導入して、経済発展に寄与しようと優遇政策を採ってきたが、20年以上経過して国内企業も成長してきたので、いつまでも外資に頼ることなく、国内企業の保護・育成も必要な段階に達し、また、自力でそういうことが出来ると判断した結果なのだろう。

例えば、自動車産業では、フォルクスワーゲン、トヨタ、ホンダなどが豊富な経験と資金を投入して中国での生産を強化してきた。これら外国メーカーに対して、技術的にも品質的にも遠く及ばなかった国内自動車メーカーだが、先月、中国国内での乗用車の販売台数で外国のメーカーを抑えて初めて安徽省の「奇瑞汽車」がトップに立った。このような国内メーカーから、外資と比較して不公平な差別を止めるように要求が強まってきている。

中央政府の方針が変わるとなれば、開発区の行政にも変化が出てくるのは当然のことだ。
単なる工業区域に留まることなく、一個の都市として機能させるためには、市民の観点から、商業施設や住居、交通などを見直し、満足度を上げていかなければならない。

前に書いたように、2002年に25万人だった開発区人口が、2007年には50万人を超えたとテレビで報道していた。

2002年当時には、デパートはなくスーパーマーケットのようなものがいくつかあったが、近代的な店は殆ど無かったが、いまじゃ、高級デパート「マイカル」ができ、「安盛ショッピングモール」が出来、大きなスーパーマーケットも出来た。
だけど、急激に人口が増えたので、ショッピング施設がまだ不足しており、日曜日ともなるとすごい人出で、レジで30分も待たされる。

管理委員会でも、これじゃまずいと考えたのだろう。

人が増えているのだから、ショッピング施設をもっと作ろう、住宅も増やせ。

と言うわけで、大きなショッピングセンターを建設するためにまず、開発区のど真ん中に大きな穴を掘っている。070331ana.jpg


そして一方では、
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マンションの建設ラッシュが続いている。

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交通の面では、大連駅から開発区を通って金石灘まで走っている「軽軌道電車」を、開発区駅から分岐して金州までつなぐ工事が、今、真っ盛りである。


ここしばらく大型投資案件がなかった大連開発区に明るい話題が広がっている。
「インテル入ってる」のあの巨大LSIメーカー「インテル」が、25億ドルの大型投資をして、大連開発区に進出するというのだ。今や地方のテレビでは毎日のように報道している。
25億ドルと言うと、3000億円の巨額投資だ。

場所は、大連開発区の中心部から東方に車で15~20分くらいに位置する双D港(DDポート)の辺りの董家溝鎮だそうだ。開発区の中心街からちょっと離れているが、開発区の中心部は開発が進み大きな空き地はなくなったので、仕方ないだろう。
噂によれば、従業員のための病院を建設し、アメリカから来る家族のために学校も建設するとか? あたかもインテル市を作るかのような話だが、真偽の程は定かでないので眉唾で聞いといてくれ。
関連する周辺企業も100社を超える見込みだそうだ。

日系企業が参加して作っている団体「大連日本商工会」に登録している企業は667社で、その中、開発区には325社と約半数。
企業数は半数だが、市内の企業は、事務所や営業所が多く社員数はそれほど多くないのに対して、開発区の会社は、社員数が数百人数千人の生産工場が多く、雇用確保の面では大いに貢献している。

外資優遇を卒業して、これから、どう変って行くのか?
大連経済技術開発区! 23歳。

大連開発区の成長期

大連経済技術開発区は、国家級経済技術開発区として、1984年に誕生した。

誕生から7歳まで(1984年~1991年)
まだ生まれたばかりの大連開発区は、子どもなので何にもできない。
原野を何とかして、工業用地として使えるようにしなければならない。外資を導入するって言ったって、山の中に工場を作れと言っても、電気もなけりゃ水道もないんじゃ、誰も工場を作るはずがない。

原野の地図を広げて、誰かが三角定規で線を引いたのだろう。そして、メインストリートの金馬路が出来たに違いない。
その後、この辺を工業区として工場を誘致しよう、商業区はこの辺でにぎやかになるぞ、住宅区は周辺に配置しよう、そうすれば通勤が楽になるはずだと計画したのだろう。
あるフリーペーパーで、「開発区は実物大のシムシティ」という表現があったが、実に的を射た面白い表現だと思う。
【解説】シムシティ:
パソコンゲームの名前。プレイヤーが市長になって、計画的に都市を建設して繁栄させるシミュレーションゲーム。交通や商店街、病院などを適切に配置、建設していかないと街が寂れてしまう。


7歳までは、基礎固めだ。
つまり、道路を作って、水道と下水を作って、発電所を作って、通信、エネルギーなど、いわゆるインフラの整備が行われた。こうして、10平方キロの区域を整備して、外資企業の進出を図った。
10平方キロと言うと、東京都中央区とほぼ同じ面積だ。
この結果、1991年末には、103社が操業を開始して、52社が試運転を始めた。

だけど、この期間は、まだ子どもだからインフラ投資金額はとても小さく、毎年1億元を上下をする程度の金額だった。


8歳から14歳まで(1992年~1998年)
大連開発区が、小学生から中学生に成長した時期だ。
前の7年間は、とにかく工場を運転するのに必要な最低限のインフラを整備するので精一杯だった。だけど、外資企業が150社も集まると、人の生活がついて回る。それで、この時期は、単純な工業地帯から都市機能整備のインフラ開発が中心になってきた。

第2、第3の産業発展を視野に入れた近代的、国際的新都市建設へと移行した。220平方キロを段階的に分けて総合的な都市インフラの整備が行われた。220平方キロと言うと東京23区のおよそ三分の一だ。前の7年間が中央区一つだけだったのと比べると、どれだけ大きく成長したか分かるだろう。

近代的な都市構想に基づき、文化、教育、衛生、観光、公園などを整備していった。この結果インフラ整備資金は、毎年7億元~13億元と、7歳までと比べると10倍もの資金が投入された。
こうして、環境が整ってくると、高級ホテルや外国人住宅、マンションなどが建設されるようになってきた。


大連開発区のインフラ整備には次のような特徴がある。
(1)国の予算だけに頼らず、大連市政府が力を入れた。
インフラ整備費用の29%は市政府による投資だ。これは、14の開発区の中で最大だった。
(2)民間の資金を活用した。
中国側が土地を提供し、外資が資金を投入する形での開発会社を作り、短期間で工業団地を開発した。
(3)インフラ整備を重視し、多額の資金を投入したことにより、良好な経済環境をもたらし、強い競争力を維持してきた。
(4)インフラ投資に伴って、民間プロジェクト投資が大幅に増加した。
インフラ投資額と民間の比率は、1:3で他の経済技術開発区よりずっと高い。民間プロジェクトの中、外資は84%を占める。

こうして、他の開発区と比べて、「大連経済技術開発区」はより良い生活環境が整えられ、50万人の近代都市として発展を続けている。

参考資料:参考資料と言うより、殆どパクリだけど。
張 克、橋本介三「大連経済技術開発区のインフラの整備状況と優遇政策動向」
財団法人自治体国際化協会「中国の企業誘致政策」

大連開発区の誕生

対外貿易、外資導入、技術導入、観光収入などを目的とした、中国の改革開放政策は、1978年に広東省、福建省において試験的始まり、翌年、対外開放区に関する基本的な考え方をまとめ、1980年、中国の「経済特区」が正式に誕生した。

「経済特区」は、深セン、珠海、スワトウの3地点でスタートし、後にアモイと海南島を追加指定し、外資に対し、法人税の減免、輸出入税の減免、外貨の海外送金の保証等の優遇措置を講じることによって、外資企業誘致に成功した。

この「経済特区」における成果をもとに、1984年に、14の「沿海開放都市」が選定され、それに付随して14カ所の「経済技術開発区」が国務院によって批准された。

14の沿海開放都市:
大連市、秦皇島市、天津市、煙台市、青島市、連雲港市、南通市、上海市、寧波市、温州市、福州市、広州市、湛江市、北海市

「経済技術開発区」は、「沿岸開放都市」と同数の14ヶ所設置されたのだが、各都市に一つではなく、温州市と北海市には設置されず、上海が3ヶ所を占めた。
第1期の国家級経済技術開発区14ヶ所:
大連、秦皇島、天津、煙台、青島、連雲港、南通、閔行(上海)、虹橋(上海)、漕河(上海)、寧波、温州、福州、広州市、湛江
その後、1992年に第2期18ヶ所、2000年に第3期15ヶ所が国務院で認可され、国家級経済技術開発区は、合計47ヶ所になっている。

これに伴って、省級やら市級の開発区が各地に設置された。省レベルの経済技術開発区が700ヶ所を超え、それ以下のところは数千ヶ所とも言われているが、規模、優遇処置の程度など各方面において、国家級には遥かに及ばない。

こうして、大連経済技術開発区は、1984年に誕生したのである。
だから、大連開発区は2004年に20歳の成人となり、今年は23歳で大人の道を歩みだしたのだ。

快適生活、大連開発区

開発区って言うと、なんとなく工場地帯で、夜になると人気がなくなる寂しい場所を想像するのではないだろうか?

深夜、守衛の足音がコツ!コツ!と響き渡り、懐中電灯で照らし出された野良猫がびっくりして走り去り、遠くから野良犬の遠吠えが聞こえてくる。

それは、とんでもない間違いだよ!!

中国には、数多くの開発区があるが、それらの中で大連開発区は、飛びぬけて立派な街だと思う。
先日、中国各地の開発区で働く日本人と話す機会があったが、皆さんが口をそろえて言うのは、開発区は工場があり働く所で、住むところではない。住む(生活の拠点)のは車で1時間近くかかる市街地だと言うことだった。工場の近くには、食べるところもなくまともなショッピングすら出来ないと。

大連開発区を思うと、信じられないことだ。
1995年以前(10年前)の駐在員によれば、開発区では必要なものが買えず、月に一回くらいは大連市内まで買出しに行っていたと聞かされたが、今じゃそんな必要はなく、通常の生活に必要なものは殆ど開発区でそろえることが出来るし、日常の生活に何の不便もない。
大連市内に行くとしても、軽軌電車か自動車で30分くらいで着くので、他の地区の開発区と比べると近いのもメリットの一つだ。
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開発区の中心部はこんな感じで、無粋な煙突やパイプラインむき出しの工場もなく、普通の市街地だ。


下の写真は、大連開発区で一番大きなショッピングモールである「安盛購買広場」の正面で、日曜日ともなると、大勢の人でごった返す。
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中に入ると、5階まで吹き抜けの大きなホールがあり、地下にはレジが36ヶ所もある大きなスーパーマーケット「好又多」があり、2階、3階には、高級ブランドショップが軒を連ねている。
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その上のフロアには、フィットネスクラブや映画館が入っているし、レストランのほかスターバックスコーヒーやケンタッキーもあるので、いろい遊べる。


通りの向かい側は、開発区の高級デパート「マイカル」だ。
同じような品物でも、マイカルで買ったと言えば一目置かれる。
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「マイカル」と言っても、今じゃ日本の資金は入っておらず、大商集団が経営する一店舗である。

こんな感じで、一般市民が普通に暮らす街が、大連開発区なのである。

海外に長く住む日本人の悩みの一つが食の問題だが、10年前には、日本食という一つの概念しかなかったが、今では、一口に日本食とは言わず、ラーメン屋、カレー屋、おでん屋、お好み焼き屋、串揚げ屋、焼き鳥屋、すし屋、定食屋、割烹、ふぐ料理屋まで細分化されて、それに応じて店舗数もたくさんあるので、外食するのに問題はない。勿論これらの日本食の店では、日本語で注文することが出来る。

24時間営業のコンビニがあるし、24時間営業のお粥屋、火鍋屋もあるので、深夜残業しても(あるいは夜遊びをしても)食にはありつける。

2002年にオレが初めて来たときには、人口が25万人だと教えられたが、先月開発区のテレビを見ていたら、開発区の人口が50万人を超えたと報道していた。5年間で実に2倍に膨れ上がった計算だ。

次回は、大連開発区がどのようにしてここまで発展したのかを簡単に紹介しよう。
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