大連雑学事典

2008年3月までは、大連在住の総経理が現地レポート、その後は日本からの回顧録や中国語トピックス。 過去の記事は右下太字の「大連雑学事典ハンドブック」を参照してください。

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レンガの建物

四川省の大地震では、すでに3万人が亡くなり、生き埋めや行方不明の人数を考慮すると、最終的な死亡者数は、5万人を超えると予想されている悲惨な災害だ。二次災害や疫病などが広がらず早く復興してくれることを望むしかない。
ニュースを聞いて最も悲惨だと感じたのは、学校が崩れ落ちて、子供たちが丸ごと生き埋めになった事例が1校2校ではないと言うことだ。これは、建物の構造に由来する人的被害だと思う。

今回の地震エネルギーは阪神大震災の20倍とか30倍とか言われているので、被害がある程度大きいのは止むを得ないのだが、人的被害を拡大したのはレンガ壁による建物のせいだと思っている。

レンガ壁の危険性については、一皮剥けばレンガの壁に書いたことだが、予想通りレンガが崩れ落ち、隙間なく積み上がって、人が這い出る隙間を埋めてしまった。ニュース写真を見ると猫も入り込めないほどの瓦礫の山になっている。

レンガの壁をもう一度説明しておくと次のような構造だ。
建物の内部はこんな風に柱が梁と上階の床を支える骨格を構成している。基本構造には壁はない。
060722koji.jpg


間仕切りの壁は、このようにレンガを積み重ねてセメントで固めている。壁の中には鉄骨や鉄筋はなくただレンガを重ねているだけだから、強度は期待できない。
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小さな壁は、レンガを横に使って薄い壁になる。

こんな構造だから、間仕切りの変更は簡単だ。レンガをハンマーで崩せばよい。
人間がハンマーで叩いて崩れる壁だから、地震エネルギーで振動を与えたら、簡単にレンガ壁が崩壊するのは誰でも分かるだろう。震度4くらいで崩れるような気がする。

大連は地震がないから関係ないとは言っていられないだろうな。(本当は)

成都住在のKMさんからコメントを頂きましたので、要点を掲載します。
全文は下のコメントをご覧ください。
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成都からKMさん

成都からの報告です。アメリカの地震専門機関での解析で、当市の震度は4~5弱に相当するとの報道に接しています。しかしながら、私の大学で上記(震度4くらいで崩れる)の現象はまったく起きていません。壁表面の漆喰に何か所かひびが走った程度です。

ようするに、建物の基本的強度は柱にあります。壁はあまり強度に関係していません。ですから、報道の映像で見る倒壊した学校、例えば都江堰市の中学の場合もビルであり、基本的に柱の強度が不足していたことによる崩壊と見るのが妥当です。もちろん壁にも強度を負担させ、このため壁も鉄筋を入れる構造にしておくことがよいことは当然です。ですが、これは日本のような地震国でいえることで、世界の大半の国はそうなっていません。
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カントリーリスク(5)

文化の違いによるリスク

文化とは何か?とまじめに考えてみると、衣・食・住の基本につながるものから、生活習慣・芸能・絵画。文字、さらには言語・宗教・政治と、その国や地域の全てを含んでいるものだと思う。これを論じても発散してしまうので、ここでは比較的狭い意味の文化、つまり習慣や風習に限定することにする。

中国人の思考パターンには、状況に応じた敵と味方という区別があるような気がしてならない。
敵と味方というのはきつすぎるかもしれないが、身内と他人との区別と言うか。
たとえば、家族と親戚、親族(血縁)と他人(無血縁)、友達と他人、社内と社外、地域内と地域外、南部と北部、中国と外国、こんな区別は日本だってあるだろうと言われるが、その線引きがはっきりしていると言うか、、、、。
どう表現したら理解してもらえるだろうか?

たとえば、誰しも自分の子が一番可愛いに決まっているのだから、他人の子供よりも優遇するのが当然なのだ。 もっと具体的な例で言えば、幼稚園のお遊戯発表会があるとすると賄賂を使ってでも我が子を主役に選ばせようとする。 最近は、さすがに露骨な賄賂は少なくなっているようだが、寄付金を弾み、主役のソロをやらせろと迫る親は多い。それが子供のためだから、子供を愛している証だから。
今の日本では、公共の場においては、自分の子供でもよその子供でも公平に扱うのが当たり前の考え方だと思うが、中国では違うのだ。
身内を大事にすると言うことだが、悪い表現をすれば身贔屓が強いのだ。身内を大事にすると言うことは他人を排除することに直結している、だから、敵味方の線引きと言う表現を使ったのだが。

自分の子供ともなればどんな場面でも身内だが、中間に位置する人は、場面場面に応じて、敵になったり味方になったり立場が変わることになる。

このような関係の中で血縁関係にはなれないが、それに近いのが「朋友(友達)」の関係だ。「朋友!」として握手すれば、かなり身内に近い関係であり、相当に面倒を見てくれる間柄である。これが、また、日本人には分かりにくいのだ。 朋友関係がもっと進んで義兄弟と呼び合うこともある。
中国では、兄弟、姉妹と呼び合う範囲がかなり広い。親しい間柄の従兄弟なんかは、大概お兄ちゃんやお姉ちゃんと呼び、平然と妹ですと紹介する。 このノリで、親しい朋友の間柄では、兄弟と呼び合うことも珍しくない。

日本人が酒の上のノリで「トモダ~チ」なんて軽く握手をするが、中国人の「朋友」はそれよりももっと重い関係だ。 友人の紹介で酒の席で意気投合して「朋友!」の握手をしたら、身内同然の扱いをしてくれる。極端な場合は、朋友を接待するのに金が足りなければ借金をしてでもご馳走してあげることさえある。
朋友関係に欠かせないのが「酒」だな。
何しろ、乾杯をしないことには友達になれない、友達になれなければ、まともな付き合いができないと言う思想が根底にあるから、乾杯なしで仕事をしようとしてもなかなか難しい。

何がリスクだか分からない乱雑な文章になってしまった。

偽札分析 毛沢東50元(1999年版)

今回は、毛沢東50元札1999年版の偽札だ。

100元札では目立ちすぎるから50元偽札を作るんだろうか?
まず全体観察から。
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上が真券で下が偽札だ。
手触りで、毛沢東の詰襟から肩の辺りのインクの盛り上がりをチェックすると真券はザラザラした感じがするが、偽札はするっとしているので、お札を扱い慣れた人ならすぐ分かる。右下の盲人触覚用の点字部分も偽札ではつるっとしている。

よく見ると、偽札の毛沢東の後頭部の右側の菱形ブロックの中に縦書きの白い文字で50と書いてあるのが見える。ここには、影文字で50が表記されるのだが、技術的に難しいものだから、いんちきをした跡なのだ。
真券ならこの部分に光を斜めに当てると、影で50の文字が浮かび上がる。こんな風に0804nise600.jpg
ただし、これは2005年版の写真だが。
偽札で似たような効果を出そうとしたものだが、よく見ればいんちきだと分かる。

例によって、透かしを観察しよう。
0804nise502.jpg
上が真券、下が偽札だが、どちらも良くできているので、透かしを見ただけでは真偽が分からない。

50元札には、札の左下の角の部分に、表裏の半円を透かしてみるとぴったり一致する中国銀行マークがある。
0804nise505.jpg
左が真券、右が偽札だが、かなりよくできているので、ここで真偽は決められない。

次は、紫外線照射で光る蛍光印刷のチェックだ。
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左が真券、右が偽札。偽札の方がボヤァっとしているが、一応光ることは光っている。

0804nise504.jpg
オレがいつも決め手として使っているのが、国章と瞳の印刷だ。
上が真券、下が偽札。明らかに偽札の精度が悪い。

最後は、毛沢東肖像画の瞳の部分だ。
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瞳の中の鮮明さが全く違うので、右が偽札だと分かる。

ここまで丁寧にチェックしないと分からないくらいに、良くできているが、冒頭に書いたように慣れた人なら手触りですぐ分かる。

カントリーリスク(4)

精神安定上のリスク。

言葉の通じない異国に一人で放り出されて、精神的に参ってしまい、精神状態が不安定になってからの最も悲惨な結末は自殺だろう。

中国で医療援助サービス事業をしている、ウェルビーと言う会社があり、毎年、重大医療対応ケースの報告書を送ってくれる。
毎年のレポートを見ると、必ず数名の自殺者数が報告されている。

わざわざ中国まで来て自殺することはあるまいに!と思えるのは、精神が健全だからこそ。なんだろうな。

日本にいても自殺する人はいる、しかも最近増えているらしいし、硫化水素自殺などと言う迷惑な方法が流行って他人を巻き込んでいるのは困ったものだが、外国で自殺しようとするのは、もっと刹那的ではないだろうか?

本社からは、指示した事項がうまく行かないのは、あんたの管理能力に問題があるからだと責め立てられるが、中国特有の事情を考慮してくれないと思いつつも、反論できるほど論理展開が整理されているわけもなく、ただ、首を垂れて叱りの言葉が頭上を通り過ぎていくのを待つだけでは、精神状態もおかしくなろうと言うものだ。
言葉は通じない、仕事はうまくいかない、遊び相手もいない、本社からはうるさく言ってくる、どうしたら良いか分からない→→→追い詰められて→→→論理思考の破滅、死ぬしかないという結論になるのが典型的な例だろう。

同じ環境でも気が変になる人と、辛いながらも凌げる人と、さらりと流せる人と、いろいろだが、日本にいるときよりもリスクが高いことは間違いない。

幸い、オレは、感受性が鈍くさらりと流せるタイプに近いのかと思うし、週末には必ず付き合ってくれるテニス仲間がいたし、毎晩ビールを7本も飲んで憂さを晴らす技も使って、ストレスを抜いていたので、自殺には追い込まれず6年間を無事に過ごしてきたが、こういう技が使えない人は大変だと思う。

ま、とにかく、無難に6年間を過ごし、生きて帰ってきたことで安堵。

偽札分析 毛沢東20元札(1999年版)

今回は、20元の偽札だ。
20元札は、旧版では存在しなかったが、1999年版毛沢東紙幣から作られた。

先ず全体の写真比較。
0804nise201.jpg
上が真券で下が偽札だ。偽札は全体に色が薄いのだが、誤って洗濯した紙幣はこんな風に色が薄くなることがあるので、これだけで偽札と決め付けることは出来ない。
紙幣の右下、毛沢東の肩の辺りに盲人用触覚用の突起印刷があるが、真券でも古くなると突起の感触が良く分からない。でもなんとなく突起印刷の痕跡を感じるような気がするのに対して、偽札は全く感触がない。

0804nise202.jpg
例によって、透かし部分の比較だが、両方とも透かし(ハスの花?)がある。あるにはあるのだが、下の方はなんかはっきりしない。でも、これで偽札と決め付けるのもどうかと思う。

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毛沢東紙幣には、蛍光印刷が施されており、紫外線ランプを照射すると金額が光ることになっている。これは真券の写真だが、偽札は全く光らなかった。これで偽札と断定することができた。

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印刷精度がはっきり見える「国章」部分はというと、この有様だ。
下の偽札がピンボケのように写っているが、ピンボケではなく、印刷そのものがボケているのだから仕方がない。

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肖像画の目の部分もご覧の通り、線がつぶれてしまってボケている。

まことに犯罪効率の悪い、20元偽札の存在を証明できたかな。

偽札分析 農夫10元札

大規模な印刷機を動かして、リスクの高い偽札犯罪を決行するに当たって、価値の低い10元札を選んだ根拠が分からない。
多くの人の手を通して、たまたまオレの手元に回ってきた農夫10元札の偽札だ。

10元の偽札など本当にあるのかと疑っているあなた。以下の写真を見てください。紛れもなく偽札です。

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紙幣の全体写真。上が真券、下が偽札だが、この段階では真券と偽札の区別がつかない。
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どこの国でもそうだが、偽札の最初のチェックポイントは、透かしの有無、出来不出来だ。下の紙幣には透かしがないので、一発で偽札と分かる。
盲人の触覚のために4つの黒い点が、突起印刷されているが、使い込まれたお札では突起具合が分からない。新札ならオレでも分かる。偽札は、突起印刷がされていない。

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中国偽札では、国章の印刷精度をチェックすると分かることが多い。
左が真券、右が偽札。

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更に拡大して天安門部分をみると、粗さが一目瞭然だ。

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次の偽札チェックポイントは、肖像画の目だ。
上が真券で下が偽札。真券の方もあまり綺麗ではないが、比較すれば偽札の粗さがよく分かる。

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瞳の部分を拡大してみると、こんな感じで、線と言うよりもドットの集合体だ。
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