大連雑学事典

2008年3月までは、大連在住の総経理が現地レポート、その後は日本からの回顧録や中国語トピックス。 過去の記事は右下太字の「大連雑学事典ハンドブック」を参照してください。

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旅順開放

大連には、外国人立ち入り禁止の地域が2ヶ所ある。
一つは旅順でもう一つは長海県だ。
いずれも軍の施設があるという理由で外国人の立ち入りを制限されていた。

長海県は海を隔てた離島なので観光客が行く機会はないが、数年前に長海県で海水浴という会社の行事があったときには、「総経理は行けませんね」と言うことで留守番役になったことがある。

もうひとつの旅順は、乃木大将が総力を挙げてロシアと戦った日露戦争の激戦の舞台でもあり、日本人にとっては数少ない大連の歴史観光地である。昔、日本軍が岩石を積んだ老朽船を沈めて出入り口を封鎖したと言う旅順港は、三方を山で囲まれた堅固な天然要塞仕立ての不凍港で、軍港としては恵まれた環境であり現在も中国軍の軍港として使われている。
そのため、外国人の立ち入りが禁止されていたが、予め旅行社を通して許可を取れば、二〇三高地や水師営会見所など限られた観光地は見ることができた。中には、中国人観光客に混じって、全部見てきたという日本人もいたようだが、基本的には禁止されていた。

この旅順が、外国人に解放されたという知らせが、お馴染みのサンディさんから寄せたれた。

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3月20日春分の日、大連国際貿易促進委員会と旅順区工商業連合会主催により、外国人に一部しか認めてこなかった立ち入りを、解除することを発表し、その前触れとして在連邦人を百数十名招待しました。この旅順開城を、戴玉林副市長は、我々の前で、これからは日本人は正々堂々と旅順に来られるようになった、と友人のコメントとしながらも発表しました。
ryojunkou.jpg
白玉山の展望台から眺めた虎の尻尾の写真などお届けします。
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2009年5月16日追記
大連の領事館事務所から、注意喚起の告知があり、現段階では旅順口区の開放はしないことを大連市政府に確認したとのことです。 残念ですが、旅順に行く際はやはり「外国人立ち入り禁止区域」には十分気をつけてください。
500元の罰金、10日間の拘留、悪質な場合は国外退去処分もあるそうです。
出典は、遼東の豕日記 旅順、未だ未開放。より。
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monmese.jpg
ついでに、広告文の入った凱旋門を撮りましたので、蛇足ながら送ります。誰も入居しないので、ネオンサイン用に使っておるようです。
サンディ
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サンディさん、いつもありがとうございます。
凱旋門の文字は「進取再創輝煌」と読めますが、「努力向上して再び輝きを取り戻そう」という意味でしょうか?
と言うことは、今は輝いていないと?

現地の写真をお送りください、適宜記事に採用させていただきます。
送り先は、alex5006487@gmail.comです。
なお、謝礼や報酬はありませんので悪しからずご了承ください。
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無責任な動物飼育

2005年の5月の記事ペットの子犬がたったの150元で、開発区の路上のペット商の話題を取り上げたが、その後の飼い方について、読者のkainekoさんから、写真とコメントを頂いた。

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無責任な動物飼育

番犬の飼育・これは中国の会社では良くある事ですね。
当社でも番犬が7匹いましたが、先日子犬を4匹買って10匹に・・・('A`)
「経理、子犬がいるのですが?」
「ああ、保安が自由にしています」って、簡単に許可もなしに追加する。誰の資金で飼育するのよ?って感じです。

inuuri.jpg中国人は簡単に犬でも猫でも買ったり貰ったりする、街中では一匹10元程度で路上売買してる光景が日常的です。
で、もって犬に至っては全然面倒も見ないし、大型犬でも繋ぎっ放しでエサをあげるだけ。
欧米人が見たら警察に通報するレベルも、ごく日常的な光景。

昨日も通りのゴミ置き場に、寝ているイヌがいると思ったら、死んだ犬をそのまま捨ててあった。

その一方でペット産業も中々の繁盛ぶりで、市内では良く小型・大型の血統証付き犬が大事に飼われている状態です。反面でそんな犬達以下の生活をしている人間も多数・・・。

hakoinu.jpg


denchuinu.jpg
*近状に居た大型犬、犬小屋も与えられず、路の脇で雨でも強風でもじっとうずくまっていました。しかし旧正月前に突然失踪、別の場所に居たやや小型の犬も同時期に姿をくらましてしまいました。妻が言うには多分盗まれて食べられた可能性が大きいとの話。いまでも、不幸な犬・猫をみると心が痛いです。

kaineko
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kainekoさん、写真とコメントありがとうございました。

中国では、リードをつけずに犬の散歩をしている光景を良く見かけるが、どんな風に躾けるのだろうか。おとなしくトコトコと主の後を付いていく、たいしたものだ。我が家でも犬を飼っているが、リードなしで散歩などしたら、どこかに行ってしまったり、車道に出て車にはねられるかも知れないので、とても無理だ。

大連の様子を写した写真をお送りください。
あて先は、alex5006487@gmail.comです。

謝らないのは

中国人はなぜ謝らないかについて、もう少し考えてみた。
中国人が謝らないことに腹を立てたり、逆に謝ってしまったために不当な要求をされたりと、悩む日本人のために、ひとつ解説してあげよう。


わざとやった場合は論外だが、過失の場合は、
 ・過失を認めれば許されるのが日本社会
 ・過失を認めると付け込まれるのが中国社会
と定義すれば分かりやすい。

とすると、日本人がすぐに謝るのも、中国人がなかなか謝らないのも、結局は、その方が各々の社会において、後の対応が楽になるだからだと思う。

日本では、自らを下げて相手を立てる、いわゆる謙譲の美徳が共通のマナーとして定着しているので、一旦身を引いてみせると、相手側も合わせて緊張を緩めてくれるので、温和な交渉環境が形成され、互いの意見を聞きながら協調によって結論を調整することができる。
謝ることによって、お詫びの意味とともにこれから気をつけますという反省の気持ちも含まれていることが暗黙のうちに共通のルールになっているのだ。

もちろん程度の問題はあるが、例えば歩行者同士がぶつかって、片方が転んだとしよう。
「あっ、すみません、ちょっと急いでいたものですから」
「いえ、こちらこそよそ見をしていまして」
「お怪我はありませんか、膝を打ったようですが」
「大丈夫です、大したことはありません」


逆に最初から突っぱらかると、相手側を硬直化させてしまい、できる相談もだめになってしまうことを恐れる。だから、謝るというか詫びるというか、一歩引き下がる交渉術が広まるのだ。もちろん相手の立場を心配して、余計な迷惑をかけてしまったとして「すみません」という言葉が自然に出てくることもあるだろう。

一方、中国ではどうかというと、謝ることは敗北宣言に等しく、相手側が付け込む隙を無防備にさらけ出すことになり、その後の交渉において圧倒的に不利になる。相手が弱みを見せたらそこを徹底的に突くのが交渉の基本になっているから、最初から謝る奴は馬鹿者だということになる。 
先の例が中国ではどうなるかというと
「いてっ、なにするんだ」
「ぼーっとしてる方が悪いんだ、気をつけろ」
「膝を打ったじゃないか、どうしてくれるんだ」
「知るか、自分で転んだんだろう」

ま、こんなところだろう。
が、この後、お互いに捨てぜりふを言って別れるので、あと味の悪いことこの上もない。

あるいはぶつかった後、お互いに何も言わないで立ち去るだけかもしれない。

逆に、最初に謝るとこんなことになる。
「あっ、すみません、ちょっと急いでいたものですから」
「痛てぇ、痛てぇ、膝打っちゃったよ」
「大丈夫ですか」
「大丈夫なわけねぇだろ、治療費出せよ」
「そんな、あんたもよそ見してたようだしお互い様でしょ」
「お前、急いでいたからぶつかった。自分が悪かったって認めたじゃないか!」
「そうは言ったけど」
「だったら、治療費払えよ、500元」
「じゃ払うけど、300元でいいだろ」

こんな風に、現場で現金のやりとりで解決することは、自動車同士の軽い追突事故などでは日常的に行われていることだ。

このような日中の行動の違いを「文化の違い」だから仕方がないとよく言われるが、オレはそうじゃないと思う。
弱みを見せた相手に食いついてやっつけてしまうなんてことは、動物の世界では当たり前のことだ。一方、相手のことを慮る行為は、人間でなければ見られないことだし、特に一定レベルの高等教育を受けた人や修行を積んだ徳の高い人達に多い思考パターンだ。

つまり、謝らないとか相手を気遣わないという態度は、言わば動物と同じで、人間性に欠ける行為であり、「文化の違い」などではなく、そのような社会は「文化レベルが低い」というべきなのだ。
こうして割り切ってしまえば、対応に妙に悩まなくても済むだろう。

動物の檻に入ったと思えば、常に警戒して、隙を見せないことが必然的に要求されることが理解できるはずだ。

ところが、中国人の中にも人間性にあふれ、徳の高い人達もいるので迷うことになるのだが。

中国人はなぜ謝らないか

中国人と付き合い始めると、謝らないことが多いのに気づくことだろう。

例えば、レストランで頼んでいない料理を持って来られた時に「これは頼んでいませんよ」というと、
日本なら「失礼致しました」と一言謝ってから下げるがが、中国では謝まらず「あっ、そう」と言うだけだろう。
以前上海で、このような場面で日本人客が怒り、中国人ウェイトレスを無理やり謝らせたところ、面子をつぶされたと、国際問題(に近い)扱いのニュースになったことがある。
日本人の「ごめんなさい」よりも、中国人の「対不起」は心理的に重いのかも知れない。

生産工場では作業ミスがあると規格外れで使い物にならない不良品ができる。
不良品を目の前にして、担当者を問い詰めても「ごめんなさい」と謝るケースはほとんど無い。わけの分からない言い訳を山ほど語るのである、思いつきで例を示せば、次のように何でもありだ。
 ・材料が元から悪かった
 ・指示どおり作業したのだから俺は悪くない
 ・機械の調子悪かったからしょうがない
 ・天気が悪かったから条件がいつもと違うのだろう
 ・トイレに行きたくて急いでいた
 ・作った直後は良かったが、置いといたら変化したようだ
こんなのにいちいち反論していたら日が暮れちまうので、オレは言い訳は聞かないことにした。対応はただ一つ、新しい指示を与えることだ。
「原因はともかく、これとこれを注意すればこんな不良品はできないのだから、今後はその点に気を付けなさい」と。
新たな指示を出せば、分かりましたと引っ込むが、誤りを認めさせようとすると、「自分は悪くない」との言い訳がいつまでも続くので、時間の無駄だ。
ただし、重要な問題なら責任を問うことになるのは、謝っても謝らなくても関係ない。

中国人が絶対謝らないのかと言えば、そうではない。
工場で労災事故があり、一人の作業員が指を切断する大怪我を負ったときのことだ。怪我人を病院に運んだ後で、残された現場の管理責任者が「総経理、ごめんなさい」と涙を流しながら謝ったことがある。責任を感じたときには、中国人といえどもちゃんと謝るのだ。

謝罪の意味では、中国語には「対不起」(ごめんなさい)という言葉があるが、日常的にはあまり使われずに「不好意思」(決まりが悪い、はずかしい)を使うことが圧倒的に多い。

何か不始末をした場合に、例えば食べ物をこぼして隣の人の衣服を汚したときに「ごめんなさい」ではなく「あら、いやだ、恥ずかしいわ」てな感じかな。

以前紹介した本「中国人と気分よく付き合う方法」花澤聖子著、講談社刊には、次のような記載がある。
=====
自分に非があっても謝らないこうした中国人の態度は、悪いことをしたときにすぐ謝る日本人にとって、実に腹立たしく見えるのである。
日本人の母親は、子どもをしつけるのに、悪いことをしたときは「ごめんなさい」と言うように小さいときからしつけると同時に、子どもは「ごめんなさい」と言うことによって許されるのが、常である。
というのは、「ごめんなさい」と言うことによって悪いことをしたことを認め、次からはやってはいけないことを理解したという暗黙の了解ができたと考えるからである。----(中略)----
中国では、子どもが悪いことをしたときには、なぜしたのか子どもに聞いて、どうしてやってはいけないのか、子どもがよくわかったかどうかを確認する。しかし「ごめんなさい」とは言わせないし、言うようにしつけもしないそうである。
=====


結局のところ、是か非かの議論ではなく、日本人社会においては、「謝罪」が問題解決への近道であり、中国人社会においては、問題解決どころか己の責任認定になるだけのことなのだろう。

以前にもオレは間違っていないと言い訳する中国人の記事で書いたことだが、中国人は謝るよりも言い訳をするほうに労力を注ぐのは、経験的に間違いないと思う。
こういうときに、謝罪を求めることにこだわらずに、原因をはっきりさせて、必要があれば補償を求めるのが正しい対応である。
謝れ!、謝れ!ではなんの役にも立たない。

開発区の凱旋門

前回の記事で紹介したように、開発区入り口のマンション群があたかも凱旋門のように見えて、夜になるとイルミネーションが光る。
サンディさんから追加の写真が届いた。
凱旋門のイルミネーションが更に豪華さを増して、全面光沢状態になっている。
gaisenmon.jpg

すごいなぁ!
いつまで続くんだろうか?
電気代は誰が払うんだろうか?

大連地下鉄工事開始

お馴染みのサンディさんから写真とメッセージが届きました。

=====(以下、サンディさんから)

ido.jpg
市役所から森ビルの通りの中央を 写真のような櫓が何十本も建てられてボーリングが始まりました。
もし硬い岩盤が見つかったら 迂回するそうです。

mon.jpg
そして 開発区の入り口のところに門構えのような高層マンションが完成してもだれも入居していないけど、毎晩 イルミネーションだけは点滅して 勝者の通らない凱旋門の如しです。

日清製油の跡地にもうじき 道路ができて、海の上に架けられた橋と繋がるそうです。何時かな?

=====
サンディさん、いつもありがとうございます。

大連の地下鉄計画については、過去に記事にまとめているが、2015年開通の計画のようだ。ボーリングが始まったと言うことなので、順調に進むのだろう。

また、下の写真は、市内から開発区に入る橋の上から撮った写真で、まさに開発区の紋のように見える。実際にはこの門の前を右に曲がって素通りするので、門をくぐるわけではない。

写真やコメントをお寄せください。
あて先は alex5006487@gmail.com へ電子メールでお送りください。
なお、採用の謝礼はありませんので、悪しからず。
他人の褌で相撲をとるようになってきたな。

追悼の辞

きのう、テニスの友人が死んだ。

当日もテニスコートを走り回って、元気いっぱいで健康そのものイメージのおっさんだった。
我々の仲間がみんな死に絶えても、一人だけ最後まで生き残る人だと思っていた。

心筋梗塞だったらしい。 62歳だった。

夏になると朝6時前から夜7時までテニスコートにいる、他にやることはないのか。
赤い帽子に赤いシャツがトレードマークでテニスコートの人気者だった。
「毎日同じシャツを着てると思うとったらちゃうでぇ、ちゃんと洗濯しとるがな、奥さんが」
関西弁だった。

初めて会ったのは、もう25年も前になるかな、町の初心者テニス教室の生徒としてだった。
とにかく、前に出て、でしゃばる変なおっさんだと思った。
「次はバックハンドストロークの練習をします、2列に並んでください」
コーチが言うと、いつも列の先頭にいた。
しかもへたくそだった。 コーチが指示した方向へ飛んだボールは一球もない。 
「あかんなぁ」
声が大きかった。 しかも変な関西弁だった。

こんなへたくそなおっさんは、すぐにテニスを止めると思っていた。
でもおっさんのずうずうしさは、筋金入りだった。へたくそなくせになかなか止めなかった。
「あんた、うまいなぁ、前からやっとったんちゃう?」
妙に馴れ馴れしく、誰にでも話しかけてくるおっさんだった。

このときは、この後20年以上も付き合い、一番の友人になるとは思っていなかった。
テニス教室期間が終了したあとで、おっさん達がテニスチームを作った。
参加者のイニシャルを集めてカッツという名を付けた。
このチームに入れてもらった。
ここから、おっさんとの本当の付き合いが始まった。

テニスコートにいる時間が誰よりも長いので、だんだんとテニスコートの主になった。
誰にでも気さくに声をかけた、特にはじめて参加した若い女の子には必ず声をかけた。
「さぁ、頑張ろうぜベイビイ」
やたらにハイテンションなおっさんだった。

さすがに20年もテニスを続けると、結構うまくなった。
最初はオレの方が圧倒的にうまかったが、途中で追い越された。
運動量も練習量もオレより10倍くらい多いから当たり前だ。

女性連中が、差し入れのスイカなんかを持ってくると、真っ先に手を伸ばして食った。
「うまいぜ、ベイビイ」
お礼も忘れなかった。
「次、女の子、試合どうぞ」
女性には年齢制限なしに女の子と呼びかけた。
おっさんならではの気遣いだったと思う。

おっさんは、ずうずうしいだけではなく、意外とまじめな人だった。
日が暮れて、最後にコート整備をしてラインを掃くのはいつもおっさんの役目になった。
自走式ローラーがまだなかった頃、重いローラーを引っ張っている姿が瞼に残っている。
雨が上がった直後には最初にコートに現れて、コートに残った水溜りからスポンジで水を吸い出している。
霜の季節になると、塩カルを撒く作業の指揮をとり、自らも袋を担いで先頭に立って動いた。

なかなかやり手がいないテニス協会の役員を引き受けてくれた。
大会の運営には、日程計画から、ドロー表、当日の進行まで、何でも面倒見てくれた。
最近では、ずっと町のテニス協会会長に祭り上げられていた。

テニスコートに行くと必ず赤シャツのおっさんがいた。
テニスコートの景色の一部となっていた。
テニスコートで赤シャツを見ると安心した。
日に焼けた真っ黒な顔に会いたくてテニスコートに通った。

もう10年以上前のことだが、50歳の誕生日が過ぎたとき、言った言葉は、
「ワシもとうとう四捨五入するとキンさんギンさんと同じになってしもた」
おっさんは、キンさんギンさんと同じように100歳を超えて長生きすると信じていた。
全人類が滅びても、おっさんは最後の一人になっても生き延びる人だと思っていた。
タバコは吸わないし、土日休日は朝から晩までテニスコートを走り回り運動量は平均的な中年オヤジの100倍くらい多いはずだ。
テニスができない雨の日は、自宅で腕立てや筋トレをする根っからのスポーツマンだった。
デブでもなく絞られた筋肉質の体型で、成人病とは縁がない人だと思っていた。

でも、突然死んだ。

長いサラリーマン生活も定年を迎えて、悠々自適なテニス生活が続くはずだった。
悠々自適はわずか2年で突然終わった。
年金ももらっていないのではないか。払った分返せ!きっとそう言うおっさんだ。

午前中テニスをしていて、ちょっと気分が悪いと、車の中で休んでいたそうだ。
しばらくして、様子がおかしいからと、仲間が救急車を呼んで病院に運んだが、間に合わなかった。
長い時間苦しまなかったことが、せめてもの救いかもしれない。
平均寿命よりかなり早いが、大好きなテニスをして、テニスコートに倒れた、幸せな逝き方かもしれない。
せめて、そう考えることにしよう。

おっさん、安らかに。
と言うのは、おっさんには似合わない。 あの世でも
「明るく、楽しくやろうぜベイビイ!」

合掌!!
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