大連雑学事典

2008年3月までは、大連在住の総経理が現地レポート、その後は日本からの回顧録や中国語トピックス。 過去の記事は右下太字の「大連雑学事典ハンドブック」を参照してください。

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屁理屈から入る中国語学習講座(6)成語の数を増やせ

中国人は成語が好きだ、いろいろな場面で良く使う。。
成語とは、故事成語のことで、四面楚歌、温故知新、呉越同舟、一網打尽など日本の四文字熟語の元になったものが多いが、日本では知られていないものもたくさんある。

式典や結婚式などでは、成語が入らない挨拶はないと言ってもいいくらいだ。また、人に説教をたれる時には欠かせないアイテムだ。日常の会話でも成語が飛び交うことも珍しくはない。
何故だろうか。
知識のひけらかしかとも思ったのだがどうもそうではないようだ。くどくどと状況を説明するよりも、ずばりと言い切ることが出来る簡便さが、便利なのではないだろうか。昔の人達が同じ境遇で同じ感情をもって吐いた言葉に共鳴するものがあり、歴史の重みを感じるとは、言い過ぎだろうか。
 いずれにしても、会話や文章の中にひょっこり出てくるのだから覚えておいたほうがよい。

ここで注意をひとつ。
例えば、温故知新を(おんこちしん)などと言っているようではだめだ。ちゃんと(wen1gu4zhi1xin1)と覚えていないと使えない。
 これは人名と同じで、例えば、三国志の登場人物を張飛(ちょうひ)と覚えていると中国名を言われても全く馴染めない。中国語ですらっと出るように暗唱するしかない。
 会話の中に、さりげなく成語を組み込むと、「こやつ出来るな!」と一目おかれることまちがいなし。

 本事典でも、中国故事成語カテゴリに十個程の成語を紹介しているが、今後増やして行こう。
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屁理屈から入る中国語学習講座(5)理屈抜きで徹底的に真似ろ

今回は、タイトルに偽りありだ。
というのは、「屁理屈から入る」と題しながら、「理屈抜きで」というのが自己矛盾を孕んでいる。

で、何を真似ろというのか?

先ず、予備知識としてこの記事を読んで欲しい。

教材としては、ダイソーのCDでなくても構わないのだが、これから買うというのなら安いからこれでいいだろう。

CDの発音を聞いて、真似ることをシャドゥイング(shadowing)というそうだ。
前回、前々回と、中国語の声調と発音について屁理屈をこねたが実践となると、CDを真似るしかない。
このときばかりは理屈抜きでやろう。
発音が多少違っていたって、たいした問題じゃない。リズムが大事だ。

CDを真似るのに、一気に長い文章を話そうとしてはいけない。
真似るのは、ほんの一息ずつでいい。

例えば、「我的願望終于実現了、我非常高興。」(願いがやっと叶って、とてもうれしいです)という文章で練習するとしよう。
我的願望 我的願望 我的願望 我的願望 我的願望 我的願望/ 
終于 終于 終于 終于 終于 終于 終于 /
我的願望終于 我的願望終于 我的願望終于 我的願望終于 我的願望終于/
実現了、実現了、実現了、実現了、実現了、実現了、/
我的願望終于実現了、 我的願望終于実現了、 我的願望終于実現了、 我的願望終于実現了、 我的願望終于実現了、/
我非常高興。 我非常高興。 我非常高興。 我非常高興。 我非常高興。 我非常高興。 我非常高興。/
我的願望終于実現了、我非常高興。  我的願望終于実現了、我非常高興。  我的願望終于実現了、我非常高興。 我的願望終于実現了、我非常高興。 我的願望終于実現了、我非常高興。 我的願望終于実現了、我非常高興。/

このくらいの細かい切り分けで練習すると良い。
もちろん上達したら、もっと長い文節で切り分けても構わない。

とにかく、理屈を引っ込めて、音楽の練習だと思ってリズムを真似するのだ。
繰り返すが、発音が多少間違っていたって、リズム(声調)が合っていれば、中国人のほうで理解してくれる。
最後は、CDの音声と一緒に合唱(?)してスピードとリズムが合っていれば良い。
そして、CDなしで、アカペラで独唱できれば完成だ。

これは、ものすごい効果がある。
ホントだって! 
騙されたと思って五つくらいの文章をやってみな、進歩を感じるから。

中国語進歩の秘訣を一つ挙げろと言われれば、間違いなくシャドウイングだと断言する。

我非常高興!

屁理屈から入る中国語学習講座(4)語順こそ全て

当たり前の話だが、中国語には、日本語のような便利な助詞がない。いわゆる「て に を は」の類だ。
日本語の助詞は、慣れている人には実に便利なツールだ。どんな風に便利なのかは、女性を指すのに「彼」の記事に書いているので見て欲しい。

さて、ちょっと中国語をかじった人が、「中国語の文法って英語と同じだよね」などと、たわけたことを言うことがあるが、とんでもない間違いだ。たまたま最初に学習する(S+V+O)の文型が一致するだけのこと。動詞の時制変化(過去形、現在形)はないし、代名詞の目的格や所有格の変化(I, my, me, mine)もないし、単数形、複数形の変化もない。 英語では主語の省略は殆どないが、中国語では普通にある。

語順が大事だという例を示そう。
    日本語  彼が私に中国語を教える。
    中国語  彼教我漢語。
    英語    He tesches me Chinese.

ここで彼と私を入れ替えてみよう(日本語は助詞もくっつけて)
    日本語  私に彼が中国語を教える。(助詞の働きで意味が変わらない)
    中国語  我教彼漢語。(文章構成上なんの問題もないが全く逆の意味になってしまう)
    英語   Me teaches he Chinese. (文法的に成り立たない)

」「」「」「漢語」の4つの単語の並べ替えゲームだが、上の二つ以外は文章として成立しない。
例えば、我教漢語彼。 教彼漢語我。 漢語教我彼。←(全部文法的に間違いで意味不明)
ただし、漢語を独立させる方法がある
漢語、彼教我 (中国語なら、彼が私に教える)

語尾の変化がないので、語順がとても大事なのだ。

蛇足だが、日本語の助詞に近い用法もない訳じゃないので、付記しておく。
 彼給我教漢語 ここで、給我は「介子+名詞」で英語の前置詞句に近い。日本語なら「私に」という感じかな。
日本語の「給」そのままの意味で「くれる」と理解しても良い。つまり「私に教えてくれる」と。
こんな使い方もできる「妈妈给我买什么?」(お母さん、僕に何を買ってくれるの?)


紹文周という先生の本でこんな記載がある。
客人来了」 と 「来客人了」 の違いが分かるだろうか?

客人来了 ⇒ (待っていた)お客さんが来たよ。
来客人了 ⇒ 誰か来たよ、あ、お客さんだ。

上の例文の客人は、主語であるのに対して、下の客人は目的語である。
同じような意味合いでも、語順によってニュアンスは違うのだそうだ。

同じ文形だが、「雨が降ってきた」は 下雨了ということになっている。自然現象は通常、主語にはしない。しかし雨乞いをしてようやく待っていた雨が振ってきたような場合に限っては、雨下了と書く。
逆に雨が止んだときは、「降っていた雨」として認識していた現象だから、主語にして、雨停了というのだ。停雨了ではない。

紹文周さんをインターネットで調べると、たくさんの本を書いていることが分かるが、この人は中国語の基本をわきまえて書いているので、参考書選びに迷ったら、紹文周先生の本から選べば間違いないだろう。

屁理屈から入る中国語学習講座(3)カタカナで書くな

中国発音はカタカナで書いてはいけない。
中国語には、日本語では表現できない発音がたくさんあるので、カタカナで覚えないことが大事だ。
一度、カタカナ書きで覚えると、一生抜けられなくなるから、気をつけよう。
じゃぁ、何で覚えるかと言うと、ピンイン(中国ローマ字)しかない。

カタカナで欠けない理由を挙げてみよう。

1、カタカナで書こうとしても書き分けられない子音がいくつも存在する。

 「ジー」と書かざるを得ない音→ ji、zhi、
  積極(jiji)、基質(jizhi)、知己(zhiji)、制止(zhizhi)はどれも「ジージー」と書くことになるが、発音は全部違う
 「シー」と書かざるを得ない音→ xi、shi
  習習(xixi)、西式(xishi)、実習(shixi)、実施(shishi)はどれも「シーシー」と書くことになるが、発音は全部違う
 「スー」と書かざるを得ない音→ si、su、
  飼料(siliao)、塑料(suliao)は、どちらも「スーリィァオ」と書くのだろうけれど、発音は違う。

2、カタカナで書き分けられない母音がある

 例えば、汽車(qiche)は「チーチャ」と書くんだろうけど、「チャ」じゃないんだよな「チュ」でもないし、その中間という感じで、なんとも表しようがない。茶(cha)は「チャア」で表現できるが、che,she,deは、カタカナでは書けない。
 また、発音の練習でやらされるbo,po,mo,foだが、カタカナで書くと「ボー」「ポー」「モー」「フォー」とされるが、実際は「ボー」ではなく「ボァ」「ポァ」「モァ」「フォァ」のように一本調子の「ボー」ではなく、語尾が軽く小さい「ァ」に変わっているのだ。
 同じことだが、我(wo)はカタカナでは「ウォ」と書かれることが多いが、実際は「ウォァ」と書いたほうが近いと思う。 だけど、いちいち細かな母音の変化まで書いているとめんどくさいし、ルビが長くなって収まりが悪い。

3、nとngはどうしようもない。
 晩(wan)と網(wang)は両方とも三声で、カタカナで書けば「ワン」と書くしかないが、実は発音が違う。晩は夕方の意味の他に、遅いとか遅れるの意味でよく使うし、網はインターネットの意味で使用頻度が高くなっている。日本人にとっては、とても聞き取りにくいし、発音の区別もつけにくい。
 俗に、案内のアンはnで、案外のアンはngだといわれるが、区別するのはまず無理だ。
 発音で意識しようとするなら、nは「ヌ」に近く前歯に舌を押し付けると良い、ngは口の中で舌を中に浮かせる。

nとngの区別については、-nと-ngの記事に、見分け方の一つの方法を書いているので参考にして欲しい。

英語学習でも本来はカタカナで書くべきでないのだろうが、英語のLとR以上に、中国語では区別をつけにくい発音が多い。
いっそのこと、最初からカタカナ学習を放棄して、ピンイン表記で覚えるのが結果的に得策だ。
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