大連雑学事典

2008年3月までは、大連在住の総経理が現地レポート、その後は日本からの回顧録や中国語トピックス。 過去の記事は右下太字の「大連雑学事典ハンドブック」を参照してください。

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特許不要論4(時代錯誤)

特許制度の目的が、「産業の発展に寄与する」ことだということについては先に書いた通りだ。
また、スポーツ特許については、相互の技の発達の為には、特許で新しい技を禁止することは得策ではないとも書いた。

1、問題提起
2、スポーツに特許を持ち込んだら
3、特許制度の目的
4、時代錯誤
5、実業と虚業

そもそも、特許制度って、いつ頃出来たものだろうか?

特許庁のサイトによると、
「近代特許制度は、中世ベニスで誕生し、イギリスで発展したといわれています。」
ベニス共和国で、1474年に、世界最古の成文特許法として「発明者条例」が公布された。その150年後のイギリスでは、1624年、「専売条例」が成文特許法として制定され、これにより今日に至る特許制度の基本的な考え方が明確化された。更に160年後の1790年に、アメリカにおいて特許法が制定された。それから約90年後の1877年に、世界で最初の審査公告主義を採用したドイツ統一特許法が制定された。ベニスの発明者条例から実に400年をかけて、近代特許法の原型が誕生したことになる。
詳しくは、特許庁の工業所有権制度の歴史をみてくれ。

1800年代後半からの産業革命を支えたのはイギリスの特許制度だったと言っても過言ではない。この時代の代表的な発明として、ワットの蒸気機関やアークライトの水力紡績機などがある。
また、世界の発明王といえば、なんと言ってもエジソンだが、彼が発明を元に事業を起こし活躍したのは1900年前後のことだ。その頃、日本でも豊田自動織機や、御木本真珠その他多くの優れた発明が認められている。
つまり、19世紀の終わりから20世紀の科学の進歩と産業の発展には、特許制度が大いにその役割を果たしたと言える。

さて、21世紀に入って、発明・考案に関する環境は、20世紀初頭とは全く違う状況になっている。

まず短いタイトルを挙げ、後で解説を加える。
1、個人が活躍する時代は終わり、組織と組織の戦いになっている。
2、改革のスピードが速いので、20年間の権利と言うのは、対抗企業にとっては致命的な結果をもたらす。
3、同じテーマの研究をする研究者が多く、似たような特許がたくさん出願され、特許権の重なり合いが多い。
4、同じ研究をして、僅かな出願日の差で、100対0の権利を与えるのが妥当なのか。
5、情報伝達の速度、記録媒体の多様化により、紙に書かれた情報が最上のものとは言えない。
6、分析、解析技術が発達したので、わざわざ情報開示を求めなくても、現物が手に入れば、技術の解析は出来る。


1、エジソンやらワットやらが、一人でこつこつと研究を進め、発明にこぎつけた時代と違って、現代の技術開発は、組織と組織の戦いになっている。その証拠に特許出願人の大部分は法人である。ひとつのアイディアが生まれる陰には、多くの仲間の調査、分析、試作などの協力があり、共通の財産となる。このメンバーたちは、あるときは一つの法人の元で勤務しているが、時には転職し、研究機関を離れたり分散する可能性があり、一人の人間が技術を隠し持って門外不出の技とする危険性は少ない。つまり発明が誕生したときには、ある範囲で公開されたと同じことなのだ。兵馬俑の銅馬車の技術が2千年間埋もれてしまったような事態は、今や起こり得ないのだ。

2、科学進歩の速度が速まり、特に先端技術の分野では、10年も経てば陳腐化してしまう。この時代に20年間の排他的な権利を与えると言うことは、ライバル達を完全に潰してしまうことにつながり、産業発展に寄与するとは思えない。

3、特許は、排他的な権利、つまり使わせない権利だ。同じテーマで特許を取ると、権利が重なり合うことがある。そうなると両者共使えなくなるのだ。また、相手方の基本特許の周辺を押さえる応用特許をたくさん出願して周囲を固め、実質的に基本特許を使えなくするような戦略もある。いわば、足の引っ張りあいだ。これが、産業の発展に寄与するのだろうか?

4、最近は、特に先端技術分野においては、同じテーマの研究を複数の機関で取り上げることが多い。優れた専門技術者が研究を進めていくと必然的に同じようなアイディアに到達するものだ。同等の費用と期間をかけて研究した成果が、僅かに出願日が早い方に100%の実施権を与え、ちょっと遅れた方は使用を禁止するのが正当な判定だろうか?これで産業の発展に寄与するのか?

5、特許は、紙に書かれた情報が全てである。最近では電子出願に変わってきたが、そのまま印刷可能であり、つまり紙に書いたものと同じなのだ。紙に書かれた表現力には限界があり、特許の権利範囲の裁定でしばしば問題を起こしている。最新の記録媒体を使えば、紙の上には表現しきれない情報、例えばビデオ画像、コンピュータグラフィックスやアニメーションを使って、より正確に描写することが出来る。紙ありきの特許制度はもう古い。

6、20世紀初頭とは比較にならないほど、各種の分析器が発達したので、現物があれば、どのようにして作ったのか、材質は何かなど、かなりの部分まで分かるようになった。だから、敢えて、文書で公開してくれなくても同じものは作れるものだ。産業の発展のために情報を公開するというのなら、もうその役目は終わったと言えるだろう。

19世紀末に確立された特許制度は、20世紀の産業発展に大いに貢献した実績は認めるが、以上述べた観点から、既にその役割を終え、今や単なる権利保護法に成り下がってしまった。

この古臭い特許制度はもう要らない。
発明者の権利保護のためなら、足の引っ張り合いになっている現状を改善して、より健全な発展的な制度となるように、根本的に改めるべきだ。

コメント

勉強になります。

この特許シリーズ、読み応えがあっていいです。
期待して読み続けています。

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