大連雑学事典

2008年3月までは、大連在住の総経理が現地レポート、その後は日本からの回顧録や中国語トピックス。 過去の記事は右下太字の「大連雑学事典ハンドブック」を参照してください。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

職人民族と商人民族

日本でも良く知られているように、中国でモノを買うときには、偽物や不良品をつかまされることがあるので注意が必要だ。この考え方は、庶民の間にもよく広がっていて、例えば帽子を買うとしよう。同じ品物がいくつか並んでいても、日本ではどれか一つをとって
「これをください」

で済ませるが、中国人は、必ず全部見て良い物を選ぶ。
裏返して縫い目が揃っているか、ほつれは無いか、汚れや傷が無いかを確認する。実際そうして比べてみると、結構傷物が混じっているから困るのだが。

電気器具を買うと、店員がパッケージを開けて、実際に通電して動作することを示してからまた箱に入れて渡してくれる。オレ自身も中国で扇風機、DVD、電磁調理器などを買ったが、その度に必ず通電された。
電磁調理器のときなんか、お湯を沸かして見せるのだが、1台目は沸かなかったので、やっぱりこの儀式は必要なんだな。ヤバイヤバイ。

日本の工場では、提案制度とか小集団活動とかで、現場の工員さんたちの工夫によって、工程の効率化が進み、業績に貢献した話にはいとまがないが、中国ではなかなかうまくいかない。
「♪♪ナンデダロー?♪ナンデダロー?」

だいぶ前になるが、ふと耳にしたのが、表題の「職人民族と商人民族」と言う言葉だ。

つまり、日本人は全体的に職人気質なので、同じお金を頂くなら、使う人が満足してくれるように、出来る範囲で一番良い物を提供しようとして、改良の工夫もする。

これに対して、中国人は商人気質なので、同じ金を取れるなら、粗悪品でもいいから出来るだけ安い物で済ませ、売ってしまったら後のことは関係ない、と。

国民性の違いだから、どうしようもないんだと。
妙に共感して頭に残っている。

コメント

いいものをお客さんに提供する、それは職人の誇りでしょう。それがないと職人とはいえない。中国にもきっと「職人」さんがいらっしゃると思いますけれど。

  • 2006/06/05(月) 13:37:53 |
  • URL |
  • カンカン #J7gMWUUA
  • [ 編集]

勿論優れた職人さんがいます

>カンカンさん
勿論、中国にも優れた職人さんがたくさんいますよ。
私は、刺繍の絵が好きなのですが、あれなど、正に職人技です。丹念に一針一針刺して、長い時間をかけて緻密な色彩が描き出される。他にも多種多様な工芸品がありますね。
工芸品に限らず、今までにも紹介しましたが、路上で安い料金で靴を直す「靴職人」、近いうちに写真を紹介しますが、「包丁研ぎ職人」など、実直な職人さんがいらっしゃる一方で、安易に一儲けしようと企む連中もいます。
日本と中国とどちらが多く目につくかという程度の問題だと思います。

  • 2006/06/05(月) 14:36:53 |
  • URL |
  • でっつ #-
  • [ 編集]

心の平安

日本人は、人に何か助けてもらったら「ありがとうございました。」という。
数日後でも、会えばまた「この間は、ありがとうございました。」という。
いわれた方も気持ちがいいし、逆に、お礼をいわれないと、「アイツは、ありがとうの一言もない。」となる。礼を言え、と強制することはできない。しかし、いわれないと面白くない。もう、助けてやるものか、と思ったりする。相手の人間性を疑ったりもする。
感謝する、感謝されることが日本人の日常だ。
中国人は違う。
経験ある人がどのくらいいるだろうか?
中国人に何かしてあげたとき、その場では、日本人の耳には軽く聞こえる「謝謝」の声は聞く。
しかし、中国人に「この間は、ありがとうございました。」と言われた経験がある人は。

感謝する心も感謝される心にも鈍感な場合、何がそれに変わって心の中心にあるのだろう。

今回のでっつさんのテーマには、これへの答えがあるかもしれない。

  • 2006/06/05(月) 14:39:17 |
  • URL |
  • 青云 #DcPtkoOk
  • [ 編集]

組織された職人

職人の技というのは見ているものをうならせるものですが、いかんせん一人の職人の技で動かせるものには限りがあります。和菓子をおいしく作ったり、見事な花瓶をこさえたり、というレベルであればともかく職人の技、が大企業単位、あるいは国家単位で伝わっていくには「組織された職人集団」になっていないといけないのだと思います。
一例として、また我田引水的なたとえで恐縮ですが、日本の鉄道のダイヤは通称「スジ屋(スジとは「筋」の意味)」と呼ばれるダイヤ作成の職人が作っている(た)そうです。いまではだいぶコンピュータ化されたでしょうが・・・。彼らが作ったダイヤはそれは芸術的とも言える完成度のものもあり、日本が世界に誇れる「職人の技」といっていいでしょう。
しかるに、そのような「職人の技」を生かすも殺すも結局はそのダイヤどおりに運行できるか、という現場サイドの「職人」の技量にかかってくるわけです。中国の鉄道が日本のように過密運行できないのも結局はそういった現場サイドの不安定さがあって、過密ダイヤにすると危険だからなのでしょう。
日本でも1年ほど前に福知山線の脱線事故がありましたが、それとて数十秒単位での正確さが運転士に要求されていたことから、運転士が追い詰められ(最後はもしかしてヤケっぱちになっていたのかも・・・)暴走させた、という要因があったようです。こうなるとあまり「職人の技」にたよるシステムや国民性というのも考え物ですね。

  • 2006/06/05(月) 15:03:23 |
  • URL |
  • BEO #-
  • [ 編集]

市場経済化と工業化、そして市民社会化

このテーマは中国にとって極めて今日的な問題なのだと思います。
でっつさんがおっしゃるように、中国には伝統工芸の極めて優れた職人は、今でもたくさんいるし、また最近は一時廃れていたものの復興や、後継者養成などにも力を入れています。
しかし、これらの物はあくまで「伝統工芸」であって、近代的工業とは全く別の範疇に属します。家電製品の品質問題などは、近代的工業の発達度と成熟度に関わる問題であり、製品の販売過程での問題は、市場経済化の発達度と成熟度に関わる問題だろうと思います。
近代的工業の日本でのありようは、まさにBEOさんのおっしゃる「組織された職人」であり、かつての手工業職人の技術や意識が、近代的工業の中で組織された結果、非常に効果的に発揮されたのではないでしょうか。
この点、伝統的なマイスター制度などを持つドイツなどは、もっと厳格な職人(それも現代的な職人)養成システムがあり、それが近代的工業を支えているようです。まさに「組織された職人」の究極を行っていますね。
ところが、この点でアメリカは基本的に違っていて、先ず頭数を揃えて、誰でもできるように徹底的に機械化されたマニュアルに基づいて、短期でワーカーを大量に養成するのが基本になっている。もちろん熟練労働者も必要なわけで、アメリカの労働組合は熟練工でないと入れないような仕組みになっているわけですが、資本側の論理はやはり徹底したマスプロダクションが基本になっている。

そこで、中国に戻れば、今まさに急速に工業化社会に入ろうとしているわけですが、伝統的手工業あるいは小規模工業の職人的世界と、近代的大工業の世界が全く繋がり無く断絶してしまい、近代的大工業はある意味でゼロから出発して過去と無関係に組織され、熟練労働者の絶対数が不足し、農村からの出稼ぎ工員などの未熟練労働者だけで動かしているような現状があって、したがって労働力の流動性も高く、製品の品質がなかなか上がらないという問題が普遍的にあるんじゃないでしょうか。
工業企業の経営者にしても、純然たる民営企業などは、商人上がりで商業と工業の違いが解っていないような経営者も多く、目先の利益だけで企業経営をやろうとすると、品質も上がらないし、結果として企業も育たないわけです。
ただし、中国でも家電業界などはすでに過当競争の段階に入りつつあり、従来のように市場に並べる商品を出荷すれば売れた時代はすでに終わり、品質の悪いメーカー、アフターサービスの悪いメーカーは間違いなく淘汰される時代に入りつつあります。

考えて見てください。日本の近代工業化や市場経済化を仮に戦後の60年として(それ以前も無かったわけではないが、本格的にはやはり戦後だろう)、中国はと言えば、「改革開放」が始まった1980年代以降のたかだか20数年の歴史しか無いわけです。日本との比較でもこれだけ大きな歴史の差があるわけで、しかも「量から質」への転換の段階はまだこれから先と言うのが、中国経済(そして社会)の今日的状況だと言えるのではないでしょうか。中国社会で生起する様々な問題は、決して「心の問題」などではなく、まさに「発展段階に照応する」問題だと捉えるべきでしょう。良くも悪くも「過渡期社会」とはそのようなものだと思います。

すでにモノが充足された社会に生まれ育った日本の若い人々には、「いつか来た道」という感覚が無いのかも知れませんが、俺みたいに家に初めてテレビが来たり、電話がついて、はしゃいだ記憶のある世代には、中国の社会で起こることにはほとんど不可思議な感覚はありませんね。ほとんどが自分の経験した皮膚感覚で説明できますよ。
そうでしょう、でっつさん(笑)。

知識・経験・能力・責任の共有

今回の様なテーマになると考えさせられます。
BEOのおっしゃる「組織された職人集団」を中国で作り上げられるのか?
知識、経験、能力、責任を共有し発展させる事が苦手(嫌い)な民族じゃないかと。
一人一人はすばらしい能力を持っている人が多いと感じます。
日本の産業発展に貢献した品質管理の概念(設計・製造はもとより企業の総ての部門で問題点の究明、改善を組織的に行う《会社の大小は関係無し》)とは違った形で発展して行くのではと思います。
ちなみに青云さん、私は田舎で暮らしているからかもしれませんが「この間はありがとうございました」を日本と同じように受けています。
地域性があるのかもしれませんね。

レベルが高くて

当「大連雑学事典」の読者の皆さんと言うか、コメント常連さんのレベルが過ぎて、家主もたじたじですわ。

>青云さん
確かに中国人の「謝謝」の回数は少ないかもしれませんが、彼らは、恩や貸し借りを良く覚えていますよ。言葉だけで、「謝謝」「謝謝」と連発するよりも、いつかきちんと恩返しをしようと考えているように思えます。
日本人は、「ありがとうございます」「ありがとうございます」を連発することにより、恩が薄れていくような感じはありませんかねぇ。
言いすぎだったら、ごめんなさい。

>BEOさん
以前に、ドイツの刃物技術のことを書かれていましたよね。組織化された職人の一例でしょう。一人の職人が丹精を込めて一振りの日本刀を作る間に、ドイツの職人は何本もの優れた洋剣を作ってしまうような感じでしょうかねぇ。
想像するに、鋼を鍛える人、形状の粗取りをする人、切れ味良く研磨する人など、役割が別れていたのでしょう。
日本の刀鍛冶は、全部一人でやっていました。
オレの身近にも、職人技の人がいましたよ。
セーターを触ると、ウール○○%、アクリル○○%と言い当てる人
紙をつまんで、○○グラム/m2と言い当てる人。
一般に職人は、組織化を嫌います。職人技の伝承が難しいのもその辺に理由があると思っています。
職人技を、分解して一つ一つを単純作業化するのが、現代の工業なのでしょうね。
一部の分野では、ロボットに取られてしまいました。

>遼寧省営口市在住さん
長文のコメントをありがとうございます。
一つ一つの解釈の中に、長く中国に身をおく遼寧省営口市在住さんの考察の深さが感じられます。
正に、中国が急激に近代、市場経済のシステムに突入している中で、一般庶民の頭の中の常識と、工業化の進歩とのギャップが、我々からみると、奇異に写るのだろうと思います。
いつか来た道かどうかは知りませんが、似たような時代感覚を共有することはあります。しかし、まったく同じではなく、経済発展・技術立国・日本改造計画と唱えていた当時の日本と比べて、現代の中国は、極端に遅れている部分とは別に世界最先端の技術とが混交しており、それが、輪をかけて全体的に混乱を生んでいるのだと思います。
だから、あと30年も経てば、みんな笑い話になってしまうのかもしれませんね。

>郷下人さん
中国人の思考パターンは、日本人よりはむしろ、フランス人なんかに近いような気がします。強烈な個人主義です。
だけど、小さな会社ながら工場を運営していて感じることですが、夫々の担当者に、あるパートの責任を持たせて、きちんと指導すれば、自分のパートは責任を持ってこなすようになります。一方、協調性という点ではやはり不安があります。いわゆる川下、次工程に対して配慮ある作業は、なかなか理解してもらえません。
オレのところはオレのところ、川下は川下で工夫すべきだ、と言うわけです。
でも、将来は、もっと理解が進むだろうと信じています。

  • 2006/06/08(木) 22:48:21 |
  • URL |
  • でっつ #m/aUcm4U
  • [ 編集]

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://huaihua.blog5.fc2.com/tb.php/409-3e730270
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。