大連雑学事典

2008年3月までは、大連在住の総経理が現地レポート、その後は日本からの回顧録や中国語トピックス。 過去の記事は右下太字の「大連雑学事典ハンドブック」を参照してください。

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簡体字解体新書0(漢字簡略化の歴史)

漢字の歴史は、それこそ中国三千年だか、四千年だかと同じ長さの長い歴史があるのだろうが、その大分部の時間は、手書きか木版印刷(手彫り版画)だったのだから、比較的自由に、略字や色々な異体字が使われてきた。例えば、「峰」の異体字として「峯」があるように。渡辺の「辺」なんか「邊」「邉」のほか、微妙な違いで無数に異体字があるらしい。自分が気に入ったら、勝手に点をつけても略しても良かったのだ。
ところが、19世紀後半、金属製の活字印刷が盛んになってから、殆ど意味に差がない異体字のためにわざわざ別の活字を作るのは無駄だということになり、異体字の整理が急速に進められた。
と言うことは、3、4千年の漢字の歴史の中で、1画多いだの少ないだの、そこは離しちゃいけないだのって、めんどくさいことを言うようになったのは、最近の100年足らずのことなのだ。

現代の漢字の元になっていると言われるのが、18世紀前半に編纂された「康煕字典」である。ここに掲載された約4万字が、概ね、日本では「正字」あるいは「旧字体」、中国、台湾では「繁体字」と呼ばれる字体であり、第二次世界大戦まで漢字圏の国で共通に用いられてきた。
(「繁体字」と言う言葉は、「簡体字」の対応として戦後に中国で作られた言葉なので、台湾文字を「繁体字」と呼ぶのは、正確ではない)

1945年:
第二次世界大戦終結後、日本と中国では、膨大な数の漢字と、画数の多い煩雑な漢字が、国民の学習を妨げているという認識の下に、学習負担軽減と識字率向上を目指して、漢字の削減と簡略化が進められた。
この動きは、台湾、香港では起こらなかったのはなぜだろうか?

1946年:日本
「当用漢字表」が1月16日に内閣告示された。
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)担当官の発案で、日本語は全てローマ字にしようと言う提案があったそうだ。「当用漢字」「現代かなづかい」制定の経緯
これは、なんとか避けたのだが、使用する漢字を簡単にして、数を減らそうという動きが強まった。その結果、将来はローマ字になるかもしれないが、「一般社会で使用する漢字の範囲を示すもの」として、いる漢字だけ残そうと言うことで1850字の「当用漢字」が選定された。
この時点では、漢字を選び出す作業が主で、簡略化はあまり行なわれず、旧字体のままの文字が多かった。

1948年:日本
「当用漢字音訓表」告示。
「当用漢字表」には読みは示されておらず、ここで音訓を示した。

1949年:日本
「当用漢字字体表」告示。
「当用漢字表」は簡易字体の採用が一部にとどまっていたが、これを整理して、字体が明確に示し直された。正字(康煕字典体で示されていた文字)の多くが、「当用漢字字体表」では、簡易字体に置き換えられた。
ここで、現在日本で使われている漢字の基本形が定められたことになり、中国よりも一足早く、日本では漢字の簡略化が進められた。
日本人は、とても素直なので、「漢字はこれだけ覚えればよい」と内閣が発表したのだからと、他の漢字は使わなくなった。使ってはいけないような気運さえあったのだろう。
1949年:中国
中華人民共和国を建国。この直後から、毛沢東、周恩来が文字の簡略化こそ急務と提唱。

1952年:中国
文字改革委員会を組織し、簡体字表の整理作業を始めた。

1955年:中国
日本よりも大分遅れて、中国文字改革委員会が「漢字簡化方案草案」を発表。
先行していた日本と同じ字形が結構あるのだが、簡略化の手法など限られているので、たまたま同じになったのかもしれないし、多少は参考にしたのかもしれない。

1956年:中国
国務院が「漢字簡化法案」を公布。
簡体字と簡化字を、教育、公文書、新聞や雑誌で使用させた。

1958年:日本
「教育漢字」選定。
「小学校の各学年で教えるべきもの」として、「小学校学習指導要領」の付録「学年別漢字配当表」に盛り込まれた漢字。

1964年:中国
「簡化字総表」発表。
これが、現在中国で使われている簡体字の基本である。
3つの表から構成されており
第1表:350字、偏旁に応用できない文字。「寶→宝」「燈→灯」など。
第2表:132字、偏や旁に応用できる文字(「國→国」は「掴」の旁として使う)と、
    文字ではない偏旁が14個ある(言偏、糸偏などの簡略化)。
第3表:1753字、第2表の偏や旁を応用した文字。
一般に「簡体字」と呼んでいるが、厳密に言うと、字全体を簡略化した文字を「簡体字」と言い、偏や旁など一部が簡略化されたものを含めて「簡化字」と言う。

1965年:中国
「印刷通用漢字字形表」を公布して、印刷物に使用すべき字体を定めた。

1977年:中国
「第2次漢字簡化方案」を中国文字改革委員会が12月20日に発表。
これは1975年5月草案提出、1977年末から人民日報が試用開始したが、あまりにも簡略化しすぎたために、読みにくい、見苦しいと、国民の賛同を得られず、8年間の試行の後、1986年6月24日国務院が廃止を発表した。

1981年:日本
「常用漢字表」10月1日に内閣告示。
「一般の社会生活における、現代国語表記上の漢字使用の目安」として、当用漢字より95字多い1945字が選ばれた。

1986年:中国
「簡化字総表1986」を国家語言文字工作委員会が公布。これが現在の最新版で、2244文字を収録。

1988年:中国
「現代漢語常用字表」を公布。この3500字は主に教育で使用されている。

1989年:中国
「印刷通用漢字字形表」に代わる「現代漢語通用字表」を公布。
この総数7000字が印刷のほか、コンピュータなど情報処理分野でも利用されている。

1989年:日本
「教育漢字」追加・改訂により、1006字とになった。

日本と中国で標準語として広く使われている、簡略化された漢字だが、こうしてみると、僅か5~60年の歴史しかないのだ。このまま、今後数百年にわたって使われ続けるのだろうか?
一つの可能性として、国際交流がさらに進み、日中文化統合計画などをぶち上げて、日中の漢字共通化が図られるかもしれない。
この50年、100年ではありえないだろうが、数百年の後には、世界の言語を統一しようと言うことで、漢字の使用を禁止されるかもしれない。

コメント

取り留めのない考察

漢字で最も新しい発音は北京音であるが、17世紀中期に満州人が北京を掌握、その貴族階級が行政権を獲得し、官界では満州訛りの中国語が幅を利かせるようになった。 英語で中国標準語のことをマンダリンと言うが、これは満大人(マンダーレン)から派生した言葉だと言われているそうだ。

原田種成の「私の漢文講義」(大修館書店)によると、日本漢字音はもともと中国から伝わった漢字音が基になっているが、日本語に溶け込んで日本語化したものである。
日本の漢字音は、呉音・漢音・唐音の3種類があるとされ、呉音が上古、漢音が奈良・平安朝、唐音は近世江戸時代に伝わった音とされている。
★呉音:西暦4~600年頃の古い音で、地域的には中国南方の音であるらしく、伝来の経路は朝鮮経由説が有力らしい。 現在でもお経は呉音で詠んでいる。 呉音は日本語に最も溶け込んだ音で、日本語化が著しいため声調の推定は不可能とされている。
★漢音:中国北方の中古音を伝えたもので、遣唐使の派遣の通じて常に最新の中国音の受容が行われた。 現在伝わっている漢音は平安初期までに伝わって、次第に和化していた音で、平安中期に受容された最新層の漢音は後世に伝わらなかった。
★唐音:主として江戸時代に伝わった中国音で、本居宣長などの漢学者が用いていた中国音で、中国でも時代と供に音韻が変化し唐音はもはや昔の韻書に合わなくなっていたので、唐音は「甚だしき謬音なり」と決め付けられていた。

中国→朝鮮→日本への北ルートと、あまり認識されていないが中国→ベトナムへの南ルートで伝播した漢字は、「漢字文化圏」としての範疇に収めることができるそうだ。

「漢字」は毎日何気なく使っているが、奥が深すぎる。

  • 2007/08/31(金) 23:30:13 |
  • URL |
  • hexue #0gXy5ln6
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