大連雑学事典

2008年3月までは、大連在住の総経理が現地レポート、その後は日本からの回顧録や中国語トピックス。 過去の記事は右下太字の「大連雑学事典ハンドブック」を参照してください。

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【礼拝】

勘違い中国語シリーズ067(時間シリーズ)【礼拝】

前2回の記事で、中国では、曜日を表すのに、「星期」「周」を使うと書いたが、もう一つ「礼拝」も同じように、曜日の概念で使われる。

まとめて書くと、各曜日は次の三つの表現がある。
日曜日だけは、五つの言い方がある。

月曜日 = 星期一、礼拝一、周一
火曜日 = 星期二、礼拝二、周二
水曜日 = 星期三、礼拝三、周三
木曜日 = 星期四、礼拝四、周四
金曜日 = 星期五、礼拝五、周五
土曜日 = 星期六、礼拝六、周六
日曜日 = 星期天、星期日、礼拝天、礼拝日、周日。
      (なぜか「周天」とは言わない)

星期、礼拝、周の使い分けについては、特に決まりはないが、『星期』が一番公式な感じがするし、中国語の教本では、まず『星期』を教える。

こんな稚拙なことを書いて、これからどうまとめようかと考えていたところ、【星期】の記事のコメント欄に、当事典の読者である、hexueさんが、「七曜から『礼拝』、『星期』、『週』の語源を語る」というタイトルのページを紹介してくれた。
上のリンクをクリックすれば、原文の中国語を、見ることが出来る。

かなり長い中国語の論文で、興味ある内容だけど、どう処理しようかと思っていたところ、やはり読者でお馴染みの遼寧省営口市在住さんが、要約してくれたので、これを紹介する。

オレなんかが、生半可な知識を書くよりよほどしっかりしていて、説得力があるはずだ。

それによれば、中国の週の概念は、西方から伝わり、「礼拝」が最も早く1820年代に現れ、次いで「星期」が1900年前後に見られるようになり、中国4000年の歴史の中で、7日間を周期とする曜日が現れてから、まだ200年にも満たないことが伺える。


以下、遼寧省営口市在住さんの要約文。
=====
全文はかなり長いので、要点だけを端折ると、

「西洋の7日を1週とする日の数え方は、いつ中国に入って来たのか? 
中国語の中の『礼拝』、『星期』などの語はいつからweek(週)の意味になったのか? 

これらの問題に答えるには、先ず『七曜』から語り起こさなければならない。
『七曜』とはつまり、日、月、火星、水星、木星、金星、土星の七つの星である。」
という始まりで、その後、中国の伝統的な数の観念の中で、

「わが国の数字を考えるに、三と五を用いることが多く、例えば『三綱五常』、『三光五行』の類がある。七の数を使うことは比較的少ないが、ただ西域の人はこれを常用し、例えば『七死』、『七生』、『七難』、『七宝』、『七音』などがある。」
とし

「『七曜』という概念が古代中国にすでにあったのか、それともやはり西方から来たのか、これはまだ更に考証が必要である。」
としています。

「『七曜』の概念は外来のものか、それとも古来から中国にあったものか、今は定説を下すことは難しいが、それでも『七曜』を使う紀日法は確かに西方から伝えられたものである。ある考証によれば、『七曜』による紀日法は8世紀にマニ教を通じて中国に伝わったという。唐代に北インドの僧侶である不空が訳した経典の中に七曜日の名称がある」
とも書いています。

「明朝には、鄭和に従いインド洋の大航海に出た通訳の馬歓の著書の中に、アラブ人の宗教活動(イスラム教)についての言及がたくさんあり、例えば
礼拝日に当たると、午前中の半日は市場は取引が止まる。長幼の男子は皆礼拝し、バラ水あるいは沈香油を顔に塗り、新しい衣服で身づくろいをする。また小さな陶器の炉で沈檀俺八児香を焚き、その上に立って、衣服と身体を燻し、そしてモスクに行く』
というような記述があり、その中には、いずれも『礼拝日』という語句が見られるが、まだ十分に固定されたものではなく、それはやはり『礼拝する日』という意味合だった。」

「1820年代には、主に外国人が中国語の中の『礼拝』を英語のweekの対応語として使うようになった。
しかし『礼拝』は元は動詞で、宗教の信者が信奉する神に向って礼拝することを指す。キリスト教、イスラム教は1週間に1回礼拝するので、そのためにこの語がだんだん派生して weekを指すようになった。」

『星期』は元は牽牛星と織女星の会う時期を指し、現代的な意味での『星期』は古語に新しい意味を与えた語である。
Weekを指す『星期』がいつごろ出現したかについて、考証を行った人がいるが、ある学者によればこの語が最も早く見られたのは1912年2月10日の『南京臨時政府公報』だと言うが、別の人は7日を1週間とする制度が中国独自の『星期』になった制定時期は1909年で、前説より3年早いが、これも『星期』という語の最初の出現ではない。」

「実際には19世紀末に現代的意味での『星期』という語はすでにあって、例えば1889年の西洋社会を紹介した本の中で、
『西欧の博識者は常に会合を開く。週末の休息と礼拝でも、あるいは政務の余暇でも、会合の時間、場所を約束する。一般に道理をわきまえた者は、期日には皆出席する。お互いに探求し、それぞれが自分の意見を述べる』
また、1899年の『日本各校紀略』という本では、
『学校の中には大講堂が1ヵ所(倫理を宣伝・説明する場所、毎「星期」2回)、分講堂が8ヵ所、博物標本室が1ヵ所、物理化学実験室が1ヵ所、手工実習場1ヵ所、農事実習場1ヵ所がある』
という記述がある。」

最後に、「『礼拝』、『星期』というこの2つの語は中国で生まれ、中国だけで使用され、日本には伝わらなかった。
日本語は別の道を歩み、例えば日曜日、月曜日、火曜日……という表現方法になった(実はこのような方法も中国から伝わったものである)。それ以外に日本にはweekを表す『週』の字もあるが、この語もやはり中国から伝わった」
とされています。
また1901年のある本の中では、『数週(つまり数礼拝)』という記述があり、当時の「週」という語はおそらく中国語に入って間も無かったため、作者は読者がこの語の意味が判らないことを懸念し、「数週」はつまり「数礼拝」という注釈をしています。その2年後にも、ある人は依然としてそれを中国語の単語ではなく、日本語の単語とみなしており、例えば方燕年という人は『瀛州観学記』(1903年)の中で、「一往復は7日。日本で言う1週」と書いており、「当時の『週』という単語は、おそらく中国に入って間も無かったのだろう」
とされています。

ざっと要点を端折って訳すと、上記のような内容です。

この辺はなんだか、日本の幕末から明治にかけての、西洋の近代的概念を日本語に翻訳した際の「事始め」の状況と非常に似通っていますね。
また、日本で翻訳された多くの語句がその後に中国語の中に持ち込まれたことは公認の事実で、例えば「社会主義」とか「共和国」とか、「科学」とか「物理」など、非常に多くの用語が明治時代の日本製ですから、この辺でも日本語と中国語の不可分の関係があって、中国語は日本人にとって学びやすいということが言えるわけです。



月、木の定期更新とは別に、日本人が勘違いしやすい中国語を、不定期に紹介している。

コメント

勉強になりました、ありがとうございます。

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2008-08-23 ドラマの中の生きた口語

ドラマ「??冒?」にたびたび出てくる表現で、いままで私の使った教材に出てこなかっ

  • 2008/08/23(土) 21:43:29 |
  • 中国語を使いたい--効率的学習法を求めて
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