大連雑学事典

2008年3月までは、大連在住の総経理が現地レポート、その後は日本からの回顧録や中国語トピックス。 過去の記事は右下太字の「大連雑学事典ハンドブック」を参照してください。

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中国人はなぜ謝らないか

中国人と付き合い始めると、謝らないことが多いのに気づくことだろう。

例えば、レストランで頼んでいない料理を持って来られた時に「これは頼んでいませんよ」というと、
日本なら「失礼致しました」と一言謝ってから下げるがが、中国では謝まらず「あっ、そう」と言うだけだろう。
以前上海で、このような場面で日本人客が怒り、中国人ウェイトレスを無理やり謝らせたところ、面子をつぶされたと、国際問題(に近い)扱いのニュースになったことがある。
日本人の「ごめんなさい」よりも、中国人の「対不起」は心理的に重いのかも知れない。

生産工場では作業ミスがあると規格外れで使い物にならない不良品ができる。
不良品を目の前にして、担当者を問い詰めても「ごめんなさい」と謝るケースはほとんど無い。わけの分からない言い訳を山ほど語るのである、思いつきで例を示せば、次のように何でもありだ。
 ・材料が元から悪かった
 ・指示どおり作業したのだから俺は悪くない
 ・機械の調子悪かったからしょうがない
 ・天気が悪かったから条件がいつもと違うのだろう
 ・トイレに行きたくて急いでいた
 ・作った直後は良かったが、置いといたら変化したようだ
こんなのにいちいち反論していたら日が暮れちまうので、オレは言い訳は聞かないことにした。対応はただ一つ、新しい指示を与えることだ。
「原因はともかく、これとこれを注意すればこんな不良品はできないのだから、今後はその点に気を付けなさい」と。
新たな指示を出せば、分かりましたと引っ込むが、誤りを認めさせようとすると、「自分は悪くない」との言い訳がいつまでも続くので、時間の無駄だ。
ただし、重要な問題なら責任を問うことになるのは、謝っても謝らなくても関係ない。

中国人が絶対謝らないのかと言えば、そうではない。
工場で労災事故があり、一人の作業員が指を切断する大怪我を負ったときのことだ。怪我人を病院に運んだ後で、残された現場の管理責任者が「総経理、ごめんなさい」と涙を流しながら謝ったことがある。責任を感じたときには、中国人といえどもちゃんと謝るのだ。

謝罪の意味では、中国語には「対不起」(ごめんなさい)という言葉があるが、日常的にはあまり使われずに「不好意思」(決まりが悪い、はずかしい)を使うことが圧倒的に多い。

何か不始末をした場合に、例えば食べ物をこぼして隣の人の衣服を汚したときに「ごめんなさい」ではなく「あら、いやだ、恥ずかしいわ」てな感じかな。

以前紹介した本「中国人と気分よく付き合う方法」花澤聖子著、講談社刊には、次のような記載がある。
=====
自分に非があっても謝らないこうした中国人の態度は、悪いことをしたときにすぐ謝る日本人にとって、実に腹立たしく見えるのである。
日本人の母親は、子どもをしつけるのに、悪いことをしたときは「ごめんなさい」と言うように小さいときからしつけると同時に、子どもは「ごめんなさい」と言うことによって許されるのが、常である。
というのは、「ごめんなさい」と言うことによって悪いことをしたことを認め、次からはやってはいけないことを理解したという暗黙の了解ができたと考えるからである。----(中略)----
中国では、子どもが悪いことをしたときには、なぜしたのか子どもに聞いて、どうしてやってはいけないのか、子どもがよくわかったかどうかを確認する。しかし「ごめんなさい」とは言わせないし、言うようにしつけもしないそうである。
=====


結局のところ、是か非かの議論ではなく、日本人社会においては、「謝罪」が問題解決への近道であり、中国人社会においては、問題解決どころか己の責任認定になるだけのことなのだろう。

以前にもオレは間違っていないと言い訳する中国人の記事で書いたことだが、中国人は謝るよりも言い訳をするほうに労力を注ぐのは、経験的に間違いないと思う。
こういうときに、謝罪を求めることにこだわらずに、原因をはっきりさせて、必要があれば補償を求めるのが正しい対応である。
謝れ!、謝れ!ではなんの役にも立たない。

コメント

善敗

「善敗由己。而由人乎哉」
善敗とは成功と失敗で、それはその人自身に基づくもので、すべて自分自身の責任に起因し、他人のせいではない、という意味だ。

微視的には良い人は多いのだが、巨視的にはそれらを凌駕する彼の国。 
戦後の太平を「平和ボケ」の中でまどろむ日本と、4000千年の悠久の歴史の中で学習しなかった彼の国とは呉越同舟か。

自己立脚の正当性は人海の上に因って立つ中華思想の誤謬がその根底にあるとみて、やや距離を置きながら接しないと、腹が立つだけだ。 

自分の物は自分の物、人の物も自分の物、自分は悪くはないが、人は悪いとのたまう。 この発想は大陸棚油田開発、諸島の領有権の正統性を説き、毒ギョーザ事件は自国に非はなし、と言いたい放題。 
中南海に遊弋するポリティシャンよ、良い意味で毛時代のように自分自身を下放し、鑑とし、導きたまえ。

  • 2009/03/17(火) 12:53:31 |
  • URL |
  • hexue #HdCTe9Y6
  • [ 編集]

日本人にとって、謝罪を求めるのは相手に反省をうながし、以後同じような間違いが起きないようにと思い、謝罪を受けることで問題は一応終了すると考えていいんじゃないでしょうか。

あまり多くの国のことは知りませんが、私の知る範囲の外国では、謝罪することは、過ちを認める、すなわち賠償責任がつきまとうと考える方が多いように思えます。

私も、謝罪を求めることより賠償、罰金等々の方法で問題の解決を図る方が、当方の精神衛生上も良いのだと考え、行動しております。

  • 2009/03/18(水) 22:25:31 |
  • URL |
  • 三十里 #-
  • [ 編集]

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